デンマークの文芸批評家。宗教色の少ない家庭に育ち,早くからL.A.フォイエルバハの思想にふれて無神論を受け入れ,精神の自由を説く。テーヌやサント・ブーブによる新しい方法で,イギリス,フランス,ドイツの大作家(とくにニーチェ)や自国の哲学者,新人作家たちを批評紹介した。パリ留学より帰国後コペンハーゲン大学で行った一連の講義《19世紀文学の主潮》(1872-90)は,自由思想が生まれついにそれが社会的また政治的現実の中で勝利を得ることを歴史的に講じたもので,〈フランスより50年は遅れている〉祖国の思想界を大いに刺激した。ヤコブセン,ドラクマン,バング,ポントピダンなどはおしなべて彼の影響の下にあった。ドイツ語への翻訳によって彼の仕事は世界的に知られるにいたった。1870年以降,第1次世界大戦までの同国の思想界は彼を指導者としたともいえる。新時代思想の機関誌となった《19世紀》(1874-77)の編集のほか,東欧旅行記,《自伝》3巻(1905-08)などもあり,この国最大の批評家とみなされている。
執筆者:岡田 令子
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ドイツの数学者、気象学者。グローデンの生まれ。1811年ブレスラウ大学教授となり、1826年ライプツィヒ大学に転じた。ブレスラウ大学時代に発表した『天気学研究』Beiträge zur Witterungskunde(1820)のなかに、世界最初の天気図を描いて掲載した。当時は通信が発達していなかったから、その日の新しい天気図ではなく、図書館にそれまで死蔵されていた1783年の気象観測記録による毎日の天気図であった。この記録は、ババリア侯テオドルKarl Theodor(1724―1799)によって組織されたパラチナ気象学会が、ヨーロッパ各地でほぼ規格を統一して行った観測結果であった。
[根本順吉]
デンマークの文芸批評家。コペンハーゲン大学で法律、哲学を学び、抜群の成績を示すが、ユダヤ系のため大学の講壇に残れなかった。イギリス、フランス、ドイツに巡遊、ルナン、テーヌ、ミルらと親しく交わって影響を受ける。1871年帰国、コペンハーゲン大学講師として『19世紀文学主潮』(1872~90)を講じてセンセーションを起こし、名声は全ヨーロッパに広がる。それは世界文学的見地から西欧各国文学の交流と相互影響をとらえ、作家の個性を鮮やかに描き出す優れた文学批評の試みで、日本でも広く読まれた。『ロシア印象記』(1898)はその追補とみられる作。ほかに『キルケゴール』(1877)、『イプセンとビョルンソン』(1882)、『黎明(れいめい)期の作家たち』(1883)、『シェークスピア』(1895~96)、『ゲーテ』(1915)など著作はすこぶる多いが、晩年は反民主主義に傾き人気を失った。
[山室 静]
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…19世紀半ばは後にデンマーク内外で古典となる文人が多数輩出するが,物語の名手で方言文学の先駆者ブリッカー,文芸評論家ハイベア,童話文学の確立者として不朽のアンデルセン,思弁的風刺家パルダン・メルラーFrederik Paludan‐Müller(1809‐76),文人思想家のキルケゴール,ユダヤ要素でデンマーク文学を豊かにしたゴルスメトMeïr Aron Goldschmidt(1819‐87)らはその一部である。70年代にフランス・イギリス型の自然主義が文芸批評家ブランデスによって導入され,彼は心理描写にすぐれた無神論者ヤコブセン,シャーンドーフSophus Schandorph(1836‐1901),一時期のドラクマンやギェレループらの〈現代転換派〉を世に出した。ギェレループとともに1917年ノーベル文学賞を受けたポントピダンは独自に個性の解放を目ざした。…
…たまに訪れる人があっても,結果として孤独感を深めることの方が多かった。ところが87‐88年ころになるとフランスのテーヌが好意的な評価を示し,デンマークのG.M.ブランデスが講義に取り上げ,再び顧みられる兆候が現れはじめた。しかしその直後89年1月ニーチェはトリノの街頭で発狂する。…
…このような物理学の発達は,気象学にも大きな影響を与えた。 19世紀になると交通,通信が発達し,それが背景となって1820年,ドイツのH.W.ブランデスは初めて天気図をつくった。それにより,それまでの点の観測が,図による間接的な表現ではあるが面の観測となり,高気圧や低気圧のような,スケールの大きい気象の構造の存在が明らかとなった。…
※「ブランデス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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