クッツェー(読み)くっつぇー(英語表記)John Maxwell Coetzee

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クッツェー」の意味・わかりやすい解説

クッツェー
くっつぇー
John Maxwell Coetzee
(1940― )

南アフリカ作家白人系アフリカーナとしてケープタウンに生まれる。ケープタウン大学で英語学と数学を学び、1960年代初めにイギリスに渡り、コンピュータプログラマーとなった。さらにアメリカに移住してテキサス大学に学び、1983年までニューヨーク州立大学で英語学と文学を教えた。84年ケープタウン大学に戻り英文学教授となった。その後アメリカのシカゴ大学およびオーストラリアのアデレード大学で教鞭(きょうべん)をとっている。

 クッツェーは英語学や文学に関する研究のほかに、1974年から作家として活動、西洋文明の合理主義を批判し、暴力や検閲の問題、人種問題の内側にあるものを巧みな構成力、示唆的な会話を用いて描いている。2003年にノーベル文学賞受賞、南アフリカの作家としては1991年のゴーディマについで二人目の受賞であった。おもな作品には、最初の小説『ダスクランド』(1974)、映画化もされた『石の女』(1977)、イギリスのブッカー賞を受けた『マイケル・K』(1983)、『恥辱』(1999)などがある。

[編集部]

『くぼたのぞみ訳『マイケル・K』(1989・筑摩書房)』『赤岩隆訳『ダスクランド』(1994・スリーエーネットワーク)』『村田靖子訳『石の女』(1997・スリーエーネットワーク)』『鴻巣友季子訳『恥辱』(2000・早川書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クッツェー」の意味・わかりやすい解説

クッツェー
Coetzee, J. M.

[生]1940.2.9. 南アフリカ連邦,ケープタウン
南アフリカ共和国の小説家,文芸評論家。フルネーム John Maxwell Coetzee。アフリカーナーボーア人)。英語で執筆。ケープタウン大学で学んだのちアメリカ合衆国で教育を受け,テキサス大学オースティン校からサミュエル・ベケットの研究で博士号を得た。ニューヨーク州立大学などで教えたのち 1971年に帰国し,ケープタウン大学で英米文学を教えた。その後,オーストラリアに在住。第1作『たそがれの国』Dusklands(1974)はニューヨーク時代に書き始め帰国後に完成したもので,南アフリカ共和国最初のポストモダン小説とされる。この作品では,異文化に対する無理解と蔑視がアメリカや南アフリカの白人に残虐性をもたらすことを精神病理学的に分析している。『夷狄(いてき)を待ちながら』Waiting for the Barbarians(1980)とブッカー賞受賞作『マイケル・Kの生涯と時代』Life and Times of Michael K(1983)は,アパルトヘイトを推進する白人にとって「文明とはなにか」を改めて問い直す作品である。ほかに自伝『白人は書く』White Writing: On the Culture of Letters in South Africa(1988)など。『恥辱』Disgrace(1999)で 2度目のブッカー賞受賞。数々の文学賞を得たのち,2003年にノーベル文学賞を受賞した。(→アフリカ文学

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「クッツェー」の意味・わかりやすい解説

クッツェー

南アフリカ共和国のアフリカーナーの作家。米国の大学に留学し,1972年以後ケープ・タウン大学で文学を教える。処女作《ダスクランド》(1974年)以後,《夷狄を待ちながら》(1980年),《マイケル・K》(1983年,ブッカー賞受賞),《敵あるいはフォー》(1986年),《ペテルブルグの文豪》(1994年)など,斬新なスタイルと祖国の状況への独自の視点をもつ作品を発表,英語圏を中心に海外でも常に注目を浴びている。2003年度ノーベル文学賞を受賞。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android