日本大百科全書(ニッポニカ) 「クムラン教団」の意味・わかりやすい解説
クムラン教団
くむらんきょうだん
Qumran Community (Sect)
1947年の春、死海北西岸付近で偶然発見された『死海文書(写本)』および1951~56年に発掘されたキルベト・クムラン、アイン・フェシカの遺跡によって、ここに住んでいたことの確認された、エッセネ派と思われるユダヤ教徒の集団をさす。彼らはユダヤ人のヘレニズム化に反対してパリサイ派に迫害され、紀元前2世紀の後半この地に集まり、ローマの支配に対するユダヤ人の大規模な反乱「第一次ユダヤ戦争」のさなかの紀元後68年ごろに四散したものと推測される。彼らは「義の教師」に率いられ、12人の平信徒と3人の祭司からなる教団会議をもち、10人ごとのグループに分かれ、律法を学び、厳格な戒律を守り、生活のあらゆる面で清浄さを強調し、後の修道士とよく似た団体生活を送った。
[今野國雄]