日本大百科全書(ニッポニカ) 「クリステバ」の意味・わかりやすい解説
クリステバ
くりすてば
Julia Kristeva
(1941― )
フランスの記号論者、精神分析家。ブルガリアのユダヤ系ブルジョアの家庭に生まれる。幼児から徹底したマルクス主義的教育を受け、科学者志望であったが、それには共産党幹部の子弟でないと不利と知り、ソフィア大学で文学を修める。1966年パリの高等研究院に留学、リュシアン・ゴルドマンとロラン・バルトに師事し、当時全盛の構造主義の知識を吸収する。またジャック・ラカンの論文集『エクリ』(1966)を読み、精神分析に眼(め)を開かされる。かたわら前衛的文芸誌『テル・ケル』のグループに参加して著作活動を開始し、その主筆で小説家のフィリップ・ソレルスと結婚する。
マルクス主義、F・ド・ソシュール、バンブニストの言語学、フロイト、ラカンの精神分析を土台にして、従来の静態的構造主義に対立する発生的構造主義の立場をとって、テクスト生産としての文学理論を構築する。パリ第七大学で教えながら、精神分析の理論と実践の両面で活動し、小説も発表している。
最初の論文集『セメイオチケー――記号分析のための探求』(1969)で記号の科学を企て、そのための方法を、精神分析を踏まえて、「記号分析」と名づける。その内容は意味生成の分析である。マルクスは創造力の概念を「生産」という概念に変えた。この生産概念を応用して、書くことを「テクストの生産」とし、テクストにおいて意味が生産される過程を「意味生成過程」とよぶ。それは書く主体と意味生産との動的な過程だからである。意味作用の産出はテクストの記号現象のなかに隠されているとし、精神分析の観点を導入して、テクスト生産において、「現象としてのテクスト」と「発生としてのテクスト」を区別する。これは遺伝学において、表現型は同じでも遺伝子型は異なるという区別から類推した概念である。すなわち表現型に相当する「現象としてのテクスト」は、表層の、表現されたテクストをさし、それに対し「発生としてのテクスト」は、それ自体としてはとらえられないが、テクストを生産する、深層のマグマ状の運動をさす。クリステバにとって重要なのは、表層の現れよりも、深層における発生なのである。テクスト生産とは、胚(はい)の集積と増殖という生成過程が、発芽という定式的表現に到達することである。そこで「記号分析」とは、「発生としてのテクスト」を再構成して、そこに働いている「忘れられた主体」をわがものとすることである。その主体は、「現象としてのテクスト」の主体とは異なるのである。
同時に「相互テクスト性」という概念を提出する。すなわち単一のテクストといえども、さまざまなテクストで織りなされている。テクスト空間は、書く主体、その受け手、外部のテクストからなる。したがって一つのテクストは、いくつものテクストの交差、交錯であり、ソ連の美学者ミハイル・バフチン流にいえば、テクストは多声的、多言語的、多元的構成をなしている。どんなテクストも、さまざまなテクストの引用のモザイクとして形成されるのであり、テクストはすべて、別のテクストの吸収と変形にほかならない。ここから単一の構造をもつとされる従来の「作品」概念と、生産されるテクストとの違いが明瞭(めいりょう)になる。
『詩的言語の革命』(1974)で意味生成過程に、さらに「原記号態」と「象徴記号態」という区別を加える。これはラカンの理論の転用である。ラカンはフロイトのエス・自我・超自我という第二局所論を、現実界・想像界・象徴界といいかえた。個人は想像界を経て、エディプス・コンプレックスを克服し、象徴界で言語を獲得する。主体はエディプス期において、子の想像界が母の現実界と結んでいる関係を脱して、言語を獲得するのである。クリステバの象徴記号態は、ラカンの象徴界=父=掟(おきて)に対応し、それに対し原記号態は、精神分析でいうエディプス期以前の、母の身体と未分化な第一次ナルシシズムの段階で、主体=対象が未分化な状態での記号活動をさす。そのとき母は対象でなく、アブジェ(おぞましきもの)として、一方で主体を魅惑し、他方で主体に反発をおこさせる。主体が「語る主体」となるためには、母を攻撃対象とし、他方で「想像的父」を「自我理想」として、それに同一化しなければならない。想像的父は主体とアブジェとを原初的な言語へと止揚する。それが原記号態である。クリステバがこの原記号態を重視する理由は次著『恐怖の権力――「アブジェクシオン」試論』(1980)で明らかになる。精神分析では、第一次ナルシシズムはアブジェをアブジェクシオン(棄却)することによってエディプス期に入るとされる。主体はアブジェとしての母を棄却し、想像的父に同一化することによって言語を獲得し、他者への愛の原型を身につける。クリステバは、母に溺愛(できあい)された青年が、母なるものを棄却できず、欲望を記号に分節するのに失敗し、ことばの空虚化に悩むという実例でそれを説明する。
記号発生のメカニズムにおける「母なるもの」の重視は、クリステバのフェミニズム理論につながる。多くの文明にみられる女性憎悪をクリステバは、母なるものというアブジェに対する感情であるとし、そこからアブジェの棄却による「母なるもの」の昇華を目ざさねばならないと主張する。ほかの多くのフェミニストが母性神話打破を唱えるなかで、クリステバは神話化されている母なるものを脱神話化し、復権させようとする。母性は象徴記号態への通路であり、それは他者への愛へ導くのである。このようにクリステバの理論は、意味生成過程の分析を通して、主体確立の道を探るのである。
[久米 博 2018年6月19日]
『ジュリア・クリステヴァ著、丸山静・原田邦夫・山根重夫訳『中国の女たち』(1981・せりか書房)』▽『ジュリア・クリステヴァ著、谷口勇・枝川昌雄訳『ことば、この未知なるもの――記号論への招待』(1983・国文社)』▽『原田邦夫訳『セメイオチケ1――記号の解体学』(1983・せりか書房)』▽『中沢新一・原田邦夫・松浦寿夫・松枝到訳『セメイオチケ2――記号の生成論』(1984・せりか書房)』▽『枝川昌雄訳『恐怖の権力――「アブジェクシオン」試論』(1984・法政大学出版局)』▽『ジュリア・クリステヴァ著、谷口勇訳『テクストとしての小説』(1985・国文社)』▽『ジュリア・クリステヴァ著、枝川昌雄訳『初めに愛があった――精神分析と信仰』(1987・法政大学出版局)』▽『J・クリステヴァ著、西川直子・棚沢直子・天野千穂子編訳『女の時間』(1991・勁草書房)』▽『原田邦夫訳『詩的言語の革命――第1部理論的前提』(1991・勁草書房)』▽『ジュリア・クリステヴァ著、西川直子訳『サムライたち』(1992・筑摩書房)』▽『ジュリア・クリステヴァ著、西川直子訳『黒い太陽――抑鬱とメランコリー』(1994・せりか書房)』▽『ジュリア・クリステヴァ著、中野知律訳『プルースト――感じられる時』(1998・筑摩書房)』▽『足立和浩・沢崎浩平・西川直子他訳『ポリローグ』新装復刊(1999・白水社)』▽『枝川昌雄・原田邦夫・松島征訳『詩的言語の革命――第3部国家と秘儀』(2000・勁草書房)』▽『枝川昌雄著『クリステヴァ――テクスト理論と精神分析』(1987・洋泉社)』▽『西川直子著『「白」の回帰――愛/テクスト/女性』(1987・新曜社)』▽『西川直子著『クリステヴァ――ポリロゴス』(1999・講談社)』