日本大百科全書(ニッポニカ) 「クーネルト」の意味・わかりやすい解説
クーネルト
くーねると
Günter Kunert
(1929―2019)
ドイツの作家。ベルリン生まれ。クーナートとも表記する。母がユダヤ人であったため、ナチ政権下では進学を拒否され、軍務からも排除され、衣料品店で働く。第二次世界大戦終結後、応用美術大学でグラフィックを学んだが、1949年にドイツ民主共和国(東ドイツ)の政党ドイツ社会主義統一党に入党し、「ドイツ作家同盟」の作家養成コースに参加。さしあたり新聞や雑誌に発表された抒情(じょじょう)詩や散文短編は、社会的抑圧や戦火の下での人間の脆(もろ)さについての作者の重い体験を偲(しの)ばせる、新鮮な視角を示し、ベッヒャーやブレヒトに認められて作家活動を始めた。1950年には最初の詩集『道標と壁文字』が刊行され、1962年には芸術アカデミー(東)のハインリヒ・マン賞を受けた。しかし「進歩」イデオロギーに盲従することにつねに強い危惧(きぐ)を示し、個別の事象をその社会的現実のなかで検証することを読者に訴えるこの作家の立場は、しばしば「党」の文化政策と衝突し、そのテレビドラマが「形式主義」と批判されたり、彼の「悲観主義的」歴史観が非難されたりした。詩集『招かれざる客』(1965)は、内容に変更を加えて、予定より2年遅れて出版された。それでも彼の作品は西ドイツ(当時)でも読まれ、外国語にも翻訳されるようになり、1972~1973年にはアメリカ、1975年にはイギリスの大学に招かれ、関連の旅行記や詩集も生まれている。1973年には本国でベッヒャー賞を受け、1976年に芸術アカデミー(東)の一員となったが、その年に起こったビーアマンの市民権剥奪(はくだつ)に反対する請願書に署名し、翌年党から除名され、1979年に出国ビザを得て西ドイツに移住した。移住後も作家としての基本姿勢に変わりはなく、詩集や評論、長・短編の小説、戯曲、旅行記から翻訳まで、多産な仕事を続け、シュタージ(東ドイツの秘密警察)その他の社会問題についても積極的に発言している。随想集『時節遅れの独白』(1981)や詩集『静物画』(1983)に収められたいくつかの作品などでは、文学と現実とのかかわりについての考察に深さと暗さが加わっているようにみえるが、詩集『深夜公演』(1999)の諸作には達観の軽妙さもうかがわれる。
[藤本淳雄]
『道家忠道他訳『現代ドイツ短編集 ドイツ民主共和国の作家たち』(1980・三修社)』▽『ヤン・ベルク著、山本尤他訳『ドイツ文学の社会史――1918年から現代まで』下(1989・法政大学出版局)』▽『DDR抒情詩アンソロジー編集委員会著『現代ドイツ詩集 東ドイツの詩人たち』(1991・三修社)』