日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケトレー」の意味・わかりやすい解説
ケトレー
けとれー
Lambert Adolphe Jacques Quételet
(1796―1874)
ベルギーの統計学者、天文学者。ベルギー西部ガン(ヘント)の生まれ。その功績は統計学の基礎を築き、統計事業の拡充を図り、国際協力を組織する役割を果たし、現代統計学の一つの祖型を形成したことにあり、統計学史上、不朽である。彼の生涯はおよそ三つの時期に分けられる。
第1期は1819~1829年で、ヘント大学を卒業して数学教授の職にあり、数学と天文学を研究、1823年に天文台建設を政府に建議、その準備でパリに派遣され、ここでラプラス、ポアソンらの学者と相識(し)ることになった。
第2期は1828~1855年で、1827~1830年ごろヨーロッパ各地に旅行し、この間、生命保険会社の実際問題に関係し、これが統計学研究への機縁になったといわれる。1832年天文台が完成し、台長となり観測に従事したが、興味の中心は人口統計、犯罪統計、社会統計へと移っていった。統計の統一と一般的国勢調査を提唱し、1841年に中央統計委員会が設置され、1846年のベルギーでの近代的な人口調査の際にはその指導にあたった。また統計専門家の国際会議の必要性を説き、1853年ブリュッセルでの第1回国際統計会議の実現に力を尽くした。
第3期は1855~1874年で、統計資料の収集、著作の集大成に主力を注いだ。統計学上の著述には、『人間について』(1835)、『社会制度』(1845)、『社会物理学』(1869)などがある。彼の労作中には人体測定学、人口統計、犯罪統計に関するものがあり、平均人l'homme moyenの概念も提唱した。ケトレー統計学が克服され、いわゆる統計万能時代の熱狂が沈静化していったことは、彼の統計学の限界に由来しているといえよう。
[北川敏男]