ラプラス(読み)らぷらす(英語表記)Pierre Simon, Marquis de Laplace

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラプラス」の意味・わかりやすい解説

ラプラス
らぷらす
Pierre Simon, Marquis de Laplace
(1749―1827)

フランスの天文学者数学者。ノルマンディーの小農の家に生まれ、16歳で陸軍士官学校に入り、数学の才能を発揮した。1767年パリに出て、ダランベールに認められ、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)や理工科大学校(エコール・ポリテクニク)などの数学教授につき、行列論・確率論・解析学などを研究した。1773年から11年間にわたり、解析学研究の成果を太陽系天体の運動論に適用して太陽系の安定性を論じた。すなわち、木星土星との相互摂動によって軌道要素は長年変化することなく、長周期変動することを証明した。ただし、その変動限界についてはラグランジュとの間で激しい論争が交わされた。また1799年から1825年にかけて著した『天体力学』全5巻は、ニュートン力学を天体の万有引力と公転運動に拡張論及した集大成であって、今日に至るまで重要な原典となっている。彼を歴史的に有名にしたのは、1796年刊の『宇宙体系解説』であって、そのなかに太陽系の起源に関する一考察があり、それがカント星雲説の構想と一致し、カントの構想を力学的に補充したものになっている。数学の業績としては『確率の解析理論』(1812)がある。学界活動としては、1775年科学アカデミー会員に選ばれ、1817年には総裁に就任した。またメートル法制定委員、経度局委員を歴任。社会的活動としては、ナポレオン政権下で上院議員、内務大臣を務め、王政復古後も貴族院議員の地位にとどまった。

[島村福太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラプラス」の意味・わかりやすい解説

ラプラス
Laplace, Pierre-Simon, marquis de

[生]1749.3.23. ボーモンタンノージュ
[没]1827.3.5. パリ
フランスの数学者,天文学者。16歳のときにカーン大学へ入り,数学的才能を発揮。1767年パリの士官学校教授に任命される。天体力学確率論に優れた業績を残した。天体力学においては,アイザック・ニュートンの重力理論を太陽系に適用して観測値と理論値のくい違いを取り除き,太陽系の安定性を証明,『天体力学』(5巻,1799~1825)を著した。このためフランスのニュートンと呼ばれている。確率論においては『確率の解析的理論』(1812)を著し,科学データを確率論的に解釈することの有効性を示した。この本はその後 100年以上にわたり確率論の標準的テキストであった。さらに『確率についての哲学的試論』(1814)では決定論的宇宙像が提示されている。また,熱,電気,磁気などについても数学的研究を行ない,さらに太陽系の生成について星雲説を発表している。ナポレオン1世のもとで内務大臣を務めたこともあるが,政治的には変わり身が早く,そのためにフランス革命の際も無事であったといわれる。

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