改訂新版 世界大百科事典 「ゲッケイジュ」の意味・わかりやすい解説
ゲッケイジュ (月桂樹)
victor's laurel
bay tree
Laurus nobilis L.
クスノキ科の常緑樹で雌雄異株。ローレルともいう。日本では雌株は比較的少ない。高さ約12m。葉は長楕円形で,長さ約8cm,深緑色,革質で,傷をつけると特有の佳香を放つ。花期は春,葉腋(ようえき)に黄色の小さい花をつけ,芳香がある。花被は4深裂し,裂片は倒卵形。おしべは8~14本,普通12本。雌花の花柱はやや短く,柱頭はやや頭状。大豆粒ほどの実は,10月ころ黒紫色に熟して落ちる。葉をベイリーフbay leafという。独特の芳香をもち,生葉でもまた乾燥しても用いる。葉に含まれる月桂油の主成分はシネオール(50%)で,ほかにオイゲノールなどがある。スパイスとして,カレー,スープ,シチューなど種々の料理に入れたり,菓子ではプディングの香味料にする。果実を月桂実といい,苦味健胃薬とする。地中海地域の原産で,日本へは1905年ころにフランスから渡来した。日露戦争戦勝記念樹として有名になった。繁殖は実生,株分け,挿木による。日当り良好な土地を好む。
執筆者:星川 清親
神話,民俗
ギリシア神話によれば,愛の神エロスを嘲笑(ちようしよう)したアポロンは罰として黄金の矢を射られ,ニンフのダフネを熱愛してしまった。拒絶する彼女をペネイオス河畔へ追いつめたところ,彼女はゲッケイジュに変身して純潔を守ったという。以後この木はアポロンの聖木となり,彼が音楽,弓術,詩歌の神でもあったことから,竪琴と矢筒および詩人の額を飾る誉れの印となった。また,ダフネの名もこの木の呼名となり,たとえばヘルメスの息子で牧歌の創始者と伝えられるダフニスDaphnisのように,ゲッケイジュの森で生まれたことにちなむ人名にも転用された。このダフニスにも,エロスに挑んでニンフを熱愛する罰を受けた神話が語られている。古代ギリシアやローマでは,この木に落雷などの厄よけや浄化の効能があるとして,住いの周囲に好んで植えつけた。その習俗は神話や伝承にも反映しており,たとえばアポロンは,デルフォイに住んでいた巨蛇ピュトンを殺したとき,ゲッケイジュの森でその血を清め落としたという。またローマ皇帝ネロは疫病流行時に難を避けてゲッケイジュの森に移り住み,この木で清めた空気を吸い健康を保ったといわれる。一方,デルフォイの巫女たちがこの葉をかんで予言力を培ったのは,そこに含まれた麻酔性成分のためで,ここから詩的霊感を授ける木としても聖視されるようになった。
またゲッケイジュは常緑性や浄化力のゆえに,勝利,栄誉の象徴でもあり,古代ギリシアのピュティア競技の勝者をはじめ,ローマの戦勝将軍や大詩人にいわゆる桂冠が与えられた。したがってこれが枯れることは不幸や敗北の予兆と恐れられた。ローマ時代には見習いの若い医師が万能薬のゲッケイジュを頭に飾る習慣があったといい,中世には大学で修辞学と詩学の修了者が桂冠を授与された。イギリスの桂冠詩人もこの伝統にのっとる。花言葉は〈栄誉と勝利〉〈幸運と誇り〉。桂冠は〈才智への報償〉を示し,芸術家にとっては最大の栄誉となる。
執筆者:荒俣 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報