イギリスの社会運動家、空想的社会主義の代表者。産業革命時代に活躍し、幼稚園の祖、協同組合運動の祖、工場法の提案者としても名高い。ウェールズのニュータウンに生まれ、商店などで働いた体験から、環境の力を重視する「性格形成原理」を確信し、スコットランドのニュー・ラナーク紡績工場の改革に成功して経営者として名をあげた。その経験に基づくのが『社会にかんする新見解』A New View of Society(1813~1814)で、環境の改善、児童教育、労働者教育、国民教育などを主張し、広く読まれている。彼は、その主張を実践して、1815年に工場労働時間規制法を提案、翌1816年、性格形成学院を開設、1817年には既成宗教を批判し、社会主義者となった。『ラナーク州への報告』Report to the County of Lanark(1821)では、失業問題の根本的解決のために共産主義的協同体の建設を提案、1825~1828年にわたってアメリカのインディアナ州でニュー・ハーモニー平等村New Harmony Community of Equalityを開設した。これは失敗したが、世界最初の非宗教的協同体の実験として重要であり、アメリカに残ったオーエンの仲間と子供たちは、奴隷解放運動、女性解放運動、ペスタロッチ式教育運動などの先駆となっている。
帰国したオーエンは、協同組合運動の指導者となり、1832年に労働券によって商品を交換する国民公平労働交換所を設立、また労働運動にも影響を与えて、1834年には有名な全国労働組合大連合Grand National Consolidated Trades Union(略称「グランド・ナショナル」)の議長となった。これは100万人以上の組合員を有する大組織で、労働条件の改善と資本主義の変革を目ざしたが、その瓦解(がかい)後オーエンは労働運動から離れて説教者となり、心霊宗を信じて87歳の死(1858年11月17日)に至るまで伝道を続けた。
チャーティズムの運動やトンプソンWilliam Thompson(1775―1833)らのオーエン主義者、マルクスやエンゲルスらにも大きな影響を及ぼし、また労働と教育を結合した成人教育、禁酒運動、刑務所改善、結婚制度批判、サマータイムやグリーン・ベルトの考案など、さまざまな改革の先駆者である。現代において、彼の教育重視、政治的手段によらない改革、協同体の実験、工業文明批判、分業や競争原理の克服、人間の全面的な解放というような思想は、新しく再評価されることとなった。
[白井 厚 2015年7月21日]
『ロバート・オーエン著、渡辺義晴訳「工場制度の影響にかんする考察」(『世界教育学選集26 社会変革と教育』所収・1963・明治図書出版)』▽『永井義雄・鈴木幹久訳『ラナーク州への報告』(1970・未来社)』▽『白井厚訳「社会にかんする新見解」(『世界の名著42 オウエン/サン・シモン/フーリエ』所収・1980・中央公論社)』▽『五島茂訳『オウエン自叙伝』(岩波文庫)』▽『ロバアト・オウエン協会編『ロバアト・オウエン論集』(1971・家の光協会)』▽『都築忠七編『資料 イギリス初期社会主義――オーエンとチャーティズム』(1975・平凡社)』
イギリスの動物・古生物学者。ランカスターに生まれる。エジンバラとロンドンで医学、ことに外科を学んだ。1828年ロンドン外科専門学校の助手となり、1834年には比較解剖学の教授となった。1856年大英博物館長に転じ、1857年にはイギリス科学普及協会会長に選出されている。早くからイギリスの現生および化石動物を研究し、1832年頭足類、1835年には腕足動物の分類についての論文を発表し、ロンドン地質学会からウォラストン賞を授与された(1838)。現生および化石動物の研究は、ヨーロッパ各地から遠く南北アメリカ、アフリカ、ニュージーランドにまで及び、脊椎(せきつい)動物の比較解剖学や生理学について重要な論文を発表している。とくに化石爬虫類(かせきはちゅうるい)についての一連の論文は、今日の分類体系の基礎となった。ダイノサウルス(恐竜)の名称の提案、始祖鳥やニュージーランドの巨鳥モアの研究も有名である。青年時代に師事したキュビエの学説を継いで、ダーウィンの進化論には反対の立場をとっている。
[大森昌衛]
イギリスの詩人。ロンドン大学卒業後、フランスに渡り、家庭教師をしていたが、1916年第一次世界大戦のソンムの激戦に参加、その経験をもとに優れた戦争詩を書いたが、大戦終了の1週間前、25歳でフランス戦線で戦死。キーツを思わせる鋭い感覚で激烈な戦場体験をうたった作品は代表的な戦争詩として高く評価され、「オーデン・グループ」の詩人たちに強い影響力をもった。62年、C・D・ルイス編の『全詩集』が刊行されている。
[富士川義之]
イギリスの社会改革思想家で協同組合運動の先駆者。一般にフランスのサン・シモン,フーリエと並んで三大空想的社会主義者の一人に数えられている(空想的社会主義)。産業革命の上昇期に,徒弟からイギリス最大の紡績工場支配人となり,1800年から約25年間スコットランドのニューラナークの紡績工場を経営して生産教育,協同組合などの人道主義的施策を導入し,19年には工場内の婦人・児童労働を保護する最初の工場法を制定させた。25年に全財産を投じて北アメリカ,インディアナのニューハーモニーにおいて自分の理想とする自給自足,完全平等の協同社会の建設を試みたが,この事業は4年で完全に失敗してしまった。協同組合運動を推進するかたわら,幼稚園を創始し労働紙幣の発行を考案,34年には全国労働組合連合の結成に尽力した。晩年は実践運動から離れ精神更生運動に没頭したが,彼の思想は人間の性格形成に社会環境の影響を重視し,社会改良の可能性を強調した点で,世界の社会改革運動にきわめて大きな影響を及ぼした。主著に《新社会観》(1812-13),《ラナーク州報告》(1820),《新道徳世界の書》7巻(1836-44)がある。
執筆者:森 博
イギリスの比較解剖学・古生物学者。エジンバラ大学で医学を修め,1858-84年大英博物館の自然史部門の部長を務める。このころG.L.キュビエから強い影響を受ける。しかし一方でドイツ自然哲学で支配的であった原型archetypeの説もとりいれ,ジョフロア・サン・ティレールの影響を受けて相似analogy,相同homologyという比較生物学上重要な概念を確立した。C.ダーウィン,T.H.ハクスリーヘの敵対者として知られる。《種の起原》に対する批判は,変異を認めないというのではなく,むしろダーウィンの論証不足に向けられていた。変異に関しては彼自身,祖先の型から逸脱する内的傾向を重視していた。古生物学者としては,始祖鳥やニュージーランドの大鳥モアの研究などが有名。主著に《脊椎動物の解剖学と生理学》3巻(1866-68)がある。
執筆者:河本 英夫
イギリスの詩人。シロップシャーに生まれ,ロンドン大学中退。第1次世界大戦の休戦直前にフランスで戦死。友人S.L.サスーンが《詩集》(1920)を編集・公刊するに及んで,この未完の大器の夭折は深く惜しまれた。キーツを愛読する繊細な感受性と病弱な身体の詩人は,戦争というホロコーストの場に投げこまれたとき,悲惨を直視し,それを倫理的なきびしさをもったすぐれた詩に変貌させ,そしてそれによって〈警告〉を発する詩人に成長した。その詩法はきわめて前衛的で,脚韻に関しても実験的であった。イギリスが生んだおそらく最もすぐれたこの〈戦争詩人〉は,エリオットのようなモダニストを嫌ったオーデンやスペンダーら,30年代詩人に強い影響を与えた。
執筆者:高橋 康也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…諸種の生物の構造の解明に基づいて〈体制〉の比較が行われ,そのうえ各生物群の一般的な〈原型achetype〉を観念的に追究する試みがしばしば行われた。1840年代になって,イギリスの比較解剖学者R.オーエンが相同と相似の概念を初めて区別したが,そのころの相同の概念は解剖学および発生学からみた同一性にすぎず,諸種の現存生物をつなぎ合わせ,現存生物と化石生物を結びつける合理的な説明原理は存在しなかった。19世紀の初めに現れたラマルクの進化論は反対者たちによって圧殺され,比較解剖学に影響を与えるには至らなかった。…
…
[沿革と目的]
ILOの創設には100年の前史があった。ロバート・オーエンがナポレオン戦争後の列強会議に提出した覚書(1818),フランスの工場主ダニエル・ルグランが行った条約による労働条件規制への努力(1840‐53),1900年パリ万国博覧会の折に結成された国際労働立法協会による国際労働局の設置(1901,バーゼル)などがあった。しかし直接の契機は,第1次大戦中に開かれた労働組合の国際会議が平和条約の中に労働条項を含めることを主張したことにある。…
…イギリスの幼児教育機関。起源は1816年R.オーエンが自分の工場のそばにつくった〈性格形成学院〉の一部をなす予備学校。その前身は子どもの共同遊び場。…
…当時,この主張は実現されるべくもなかったが,やがて女子すべてにも教育をという動きが起こってきた。イギリス産業革命期に活躍したR.オーエンは,教育を権利としてとらえ,彼の経営する紡績工場に付設した性格形成学院(1816)は,10歳までの少年少女を工場労働から解放し,6歳までは保育の場を,10歳までは読み書き算,音楽,体操,裁縫,編物の学習の場を用意し,内外から注目された。その後,オーエンに刺激されたウィルダースピンSamuel Wilderspin(1792‐1866)は1824年にインファント・スクール(幼児学校)協会を設立し,イギリス各地に幼児学校を普及させたが,これらの学校の一部はのちにイギリス公教育制度の一環に組み込まれていった。…
…産業革命以後もこのような理想都市の提案は数多くみられ,そのうちのいくつかの理念は行政にとり入れられたり,民間の開発に組み込まれて今日の都市計画に影響を及ぼしている。 19世紀の初頭からR.オーエンをはじめとする社会改良家たちは,貧困,不衛生など資本主義社会の矛盾の解消を理想社会の実現に求め,支配階級を説得することによってこれを実現しようとした。これらの提案の多くはあまりにも空想的であり,経営に難点があったりして実現しなかった。…
…ドイツでも衛生学者M.vonペッテンコーファーの同じような都市問題の指摘により,ミュンヘン(1858)をはじめ,各市で下水道工事,環境改善事業が始まる。さらに,こうした都市問題の広がりに対し,それを解決する改良主義的理想都市案も,R.オーエンの〈工場村〉案をはじめ19世紀を通じ各種出された。とくにE.ハワードの田園都市構想(1902)は,労働者を健康な郊外で美しい花園(住宅)を所有させながら,そこにある工場で働かせるものとして,後世の大都市における衛星都市建設案に影響が大きい。…
… 第3は,党派的なユートピアであるが,かつて宗教的運動の中で主張されたような孤絶したユートピア構想とは異なった,新しい開放性をもっている。党派のユートピアは,理論上の要請であるとともに行動のプランでもあるが,19世紀については,とりわけイギリスのR.オーエンとフランスのサン・シモン,C.フーリエらの初期社会主義運動が注目される。オーエンは,協同組合を主体とする共産的村落を構想し,1825年からアメリカに〈ニューハーモニーNew Harmony〉を建設して,この理想を現実に移そうと試みた。…
…弾圧が強いためもあり,恒常的な組織を欠くこともこの時期の特徴である。ラッダイト運動はその好例であり,R.オーエンに指導された全国労働組合大連合(1834)も単に労働時間の短縮だけでなく,新しい秩序を目ざす運動であった。チャーチスト運動は労働者階級による最初の大規模な政治的運動であった。…
※「オーエン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新