中部アフリカのコンゴ民主共和国(旧,ザイール)の中央北部,コンゴ川の中流に沿った港町。オート・コンゴ州の州都。人口68万3000(2004)。かつてはスタンリービルと呼ばれ,首都レオポルドビル(現,キンシャサ),南部のエリザベートビル(現,ルブンバシ)に対抗する政治経済の中心であった。旧名は1883年探検家H.スタンリーによって開かれたことにちなむ。キンシャサから1700kmある河川航路の終点で,1906年さらに内陸に通ずる鉄道が開通して,商工業の中心として発展。金属製品やビールの生産,綿花や米の集散が重要な産業で,空港もある。
執筆者:西野 照太郎 コンゴ動乱当時,ルムンバ派の最重要拠点で,同派のギゼンガが1960年12月にレオポルドビルのモブツ政権に対抗してコンゴ共和国中央政府の樹立を宣言したさい,首都とされたこともある。また64年後半,左派の反政府武装闘争が活発化し,11月に同市在住の白人約1000人が左派の人質となったため,その救出を理由として米軍輸送機が約800人のベルギー空挺部隊を降下させ,国際的な論議の的となった(スタンリービル降下事件)。
執筆者:小田 英郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
アフリカ中部、コンゴ民主共和国(旧ザイール)北東部の都市。東部州の州都。旧称スタンリービルStanleyville。人口49万7800(2001推計)。コンゴ(ザイール)川上流にあるボヨマ滝(スタンリー滝)の下流右岸に位置する。古くから開けた町で、1877年に探検家スタンリーが訪れたときは、東アフリカからきたアラブ人の通商の要地であった。またベルギーの植民地時代には内陸部開発の拠点となった。1960年の独立以降のコンゴ動乱の時期には、ルムンバ派のギゼンガの率いる国民党の拠点となり、64年、ベルギー軍の落下傘部隊が降下し大きな被害を受けた。その後復興し、内陸部の行政、経済、交通の中心地、また農畜産物の集散地、工業都市として発展している。キンシャサからのコンゴ川の河川交通の終点であり、ワゲニア人の簗(やな)漁は観光の目玉となっている。
[赤阪 賢]
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加