コンゴ王国(読み)コンゴおうこく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンゴ王国」の意味・わかりやすい解説

コンゴ王国
コンゴおうこく
Kongo

中央アフリカ西部,コンゴ川南方に存在した王国。1390年頃にルケニ・ルア・ニミが樹立したとされる。首都はムバンザコンゴ。1483年にポルトガル人が到来。1491年,国王ンジンガ・ア・ンクワと王子ムベンバ・ア・ンジンガはカトリックに改宗し,それぞれジョアン1世,アフォンソ1世の洗礼名を受けた。1509年頃に即位したアフォンソ1世は,奴隷貿易などの大西洋交易をめぐってポルトガル商人と対立した。1542年にアフォンソ1世が没したのち,激しい後継者争いが繰り広げられ,この混乱に乗じて 1568年に武装集団ジャガ族が東方から侵攻し王国を制圧した。アルバロ1世(ニミ・ア・ルケニ。在位 1568~87)は,ポルトガル軍の支援を得てようやく事態を収拾した。またガルシア2世(ンカンガ・ア・ルケニ。在位 1641~61)はオランダと手を組み,ポルトガルに対抗した。王国とポルトガルは統治権をめぐって対立し,小規模な衝突を繰り返したが,1665年10月29日にムブウィラの戦い(ウランガの戦い)に発展し,アントニオ1世(ンビタ・ア・ンカンガ)が殺害された。これ以降,王国は名目上は存続したが,統一国家としての機能は果たさず,17世紀末まで内戦が続いた。ポルトガルは後継者争いに介入し,ペドロ5世(アグア・ロサダ・レロ。在位 1859~91)を擁立。1913~14年,ポルトガル人の統治に対してアルバロ・ブタ反乱を起こした。反乱は鎮圧され,これを引き金に王国は崩壊,ポルトガル領アンゴラに併合された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンゴ王国」の意味・わかりやすい解説

コンゴ王国
こんごおうこく

14世紀ごろから17世紀にかけて、今日のコンゴ民主共和国(旧ザイール)のコンゴ(ザイール)川河口一帯を版図として繁栄したバントゥー系の王国。伝承によれば、14世紀ごろ東方からこの地に流入してきたニミ・ア・ルケニを首長とするバントゥー系の一族が先住民を征服して建国した。15世紀末、ポルトガル人が渡来する直前のこの国の最盛期には、マニコンゴとよばれる王が、50万平方キロメートルの版図に住む400万~500万人の住民を統治していたといわれる。コンゴ王国は、1482年この地に到来したポルトガルの遠征隊を通じて、ポルトガルと外交関係を結び、交易を行うとともに留学生を派遣した。しかし、奴隷貿易時代に入ると内乱が相次ぎ、18世紀初めまでには完全に滅亡した。

[原口武彦]

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