翻訳|Constantine
アルジェリア東部の古い歴史をもつ中心都市で,同名県の県都。アラビア語でクサンティーナQusanṭīna。人口46万5021(1998),アルジェ,オランに次ぐ第3の都市である。地中海岸より90km内陸のテル・アトラス山脈中にあり,標高600m。ルメル川の深い峡谷に面し,市街地の直下200mの断崖は壮観である。
古代,カルタゴにより都市が建設され,キルタCirtaと呼ばれた。ローマ時代にも植民都市となり,311年戦争で廃虚となったが,コンスタンティヌス1世により再建されたので現在の地名がある。その後オスマン帝国支配までの各時代の,主要都市として栄えた。ローマ,ビザンティン時代の水道,城壁,凱旋門や古いモスクなどが残っている。フランス植民地時代,メディナと呼ばれる伝統的な町の周辺にヨーロッパ風市街地がつくられた。独立戦争時の1958年,ド・ゴール大統領はここでアルジェリア経済再建計画案を発表し,コンスタンティーヌ計画として知られている。
沿岸地域とアトラス高原,南の遊牧・オアシス地域との結節点に位置し,古くから農産物の集散地,商業中心地であった。独立後,工業化が進み,繊維,食品,機械,セメント,皮革などの工業が立地し,工業都市ともなっており,総合大学も設置された。近年周辺農村地域からの人口流入が続き,住宅不足が深刻になっている。アルジェ~チュニス間および南のジェルファへの鉄道,道路の結節点であり,アルジェからの空路もある。
執筆者:藤井 宏志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
北アフリカ、アルジェリア北東部の都市。コンスタンティーヌ県の県都。アラビア語ではクサンティーナQacentina。人口46万2187(1998)、71万7646(2008センサス)。地中海岸から約90キロメートル内陸、アトラス山脈中の標高600メートルに位置する。ルメル川の深い峡谷に面し、市街地の直下に切り立つ高さ200メートルの断崖(だんがい)は壮観である。地中海沿岸とアトラス高原および遊牧地域との結節点で、古くから農産物の交易地であった。古代にカルタゴの植民都市が建設されキルタCirtaとよばれた。ローマ時代には311年に戦争で廃墟(はいきょ)となったが、コンスタンティヌス大帝が再建した。市名はこれに由来する。その後近世のオスマン帝国統治下に至るまで、この地方の主要都市として栄えた。ローマ、ビザンティン時代の水道、城壁、凱旋(がいせん)門、古いモスクなどが残されている。フランス植民地時代、メディナ(アラブ人市街地)の周辺にヨーロッパ風市街地がつくられた。独立戦争中の1958年フランスのドゴール大統領は、当地で「コンスタンティーヌ計画」として知られるアルジェリア経済再建計画を発表した。1962年の独立後工業化が進み、繊維、食品、機械、セメント、皮革などの工業が立地し、総合大学も設置された。近年周辺農村からの人口流入が続き、住宅不足が深刻である。アルジェとチュニジアのチュニスを結ぶ鉄道、道路の結節点であり、国際空港もある。
[藤井宏志]
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