ゴリツィン(その他表記)Golitsyn, Dmitrii Mikhailovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴリツィン」の意味・わかりやすい解説

ゴリツィン
Golitsyn, Dmitrii Mikhailovich

[生]1665.6.13.
[没]1737.4.25. ペテルブルグ
ロシアの貴族政治家北方戦争にポーランド外人補助部隊司令官として従軍,キエフ総督を経て,1718年元老院議員となり,同時に 22年まで大蔵局 (カメル・コレギヤ) 総裁を兼ねた。シャフィーロフ不興事件に巻込まれ一時官職を剥奪され,エカテリーナ1世の仲裁で復権したが,A.D.メンシコフ公の失脚 (1727) まで背後に退いていた。ピョートル2世のとき貴族寡頭政理論をかざして大貴族間に隠然たる勢力を築き上げ,帝の死後最高枢密院議長として帝権を枢密院に従属させる制限「条件」を起草,新帝アンナ・イワーノブナに署名を強要した。即位後「条件」を破棄した女帝はなおもこの件を忘れず,36年彼の女婿カンテミール公の陰謀事件の際,政界を引退していた彼にも嫌疑をかけて逮捕,領地を没収してシリュッセリブルグ要塞監獄に監禁した。

ゴリツィン
Golitsyn, Boris Alekseevich

[生]1654.7.30.
[没]1714.11.8.
ロシアの貴族,政治家。リトアニア (リトワ) 大公ゲディミナスの後裔と称する名門の出身。摂政ソフィヤ・アレクセーブナの反対派であったが,能力を認められて 1683~1713年カザン地方省長官に抜擢された。 1689年反ソフィヤ・クーデターに参加,ピョートル1世 (大帝)の親政時代を切開き,その功で貴族に列せられた。以後,ピョートルの主要な事業にはたいていたずさわり,帝の西ヨーロッパ旅行中は執政官一員としてモスクワにとどまった。しかし 1705年アストラハンの反乱によってカザン行政の腐敗を明るみに出され,帝の信頼を失った。

ゴリツィン
Golitsyn, Vasilii Vasil'evich

[生]1643
[没]1714.5.2. アルハンゲリスク
ロシアの政治家。公爵ソフィヤ・アレクセーブナ寵臣として,1689年にピョートル1世 (大帝)彼女を倒して実権を握るまで,国政を牛耳った。 87年と 89年の2回にわたって,クリム・ハン国遠征を指揮したが,ピョートルのクーデター後,アルハンゲリスクに流され,そこで没した。

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