ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テオドリック大王」の意味・わかりやすい解説
テオドリック大王
テオドリックだいおう
Theodoricus; Theodoric the Great
[没]526.8.30. ラベンナ
イタリアの東ゴート王 (在位 493~526) 。8歳で人質としてビザンチン帝国 (東ローマ帝国) の首都コンスタンチノープルに送られそこで成人する。その間に古典文化とゲルマン精神の結合を学んだ。 469年許されて帰国,父テオデミール王と協力してビザンチン帝国から低モエシア地方を獲得。 484年ビザンチン皇帝ゼノから執政官 (コンスル ) に任命され,イタリアに進出してベロナでオドアケル軍を破った (489) 。 493年までに全イタリアを支配し,東ゴート王となり,ラベンナに東ゴート王国の都をおいた。さらに西ローマ帝国領地に定着するすべてのゲルマン人を支配しようと領域を拡大。産業,文化を保護し,湿地開拓,港湾整備の事業にあたり,またカッシオドルスやボエチウスらのすぐれたローマ人を要職に用い善政を行なった。しかしボエチウスに対しては,のちにビザンチン帝国との通謀のかどで反逆罪の疑いをかけて処刑した。宗教的にはアリウス派の信仰を支持したので,ローマ人のカトリック信仰と対立し,東ゴート人とローマ人との和合は成らなかったが,ローマに対しては親ローマ政策,ゲルマン諸部族の王に対しては結婚政策をとった。『ニーベルンゲンの歌』ではベロナのディートリヒとして知られている。
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