シェーベルイ(英語表記)Sjöberg, Birger

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェーベルイ」の意味・わかりやすい解説

シェーベルイ
Sjöberg, Birger

[生]1885.12.6. ベーネルスボリ
[没]1929.4.30. ベクシェー
スウェーデン詩人。ほとんど正規の教育を受けず,種々の職業を経てジャーナリストとなり,39歳のとき彗星のように文壇に登場,5年間の短い創作活動ののちに没したが,その意欲的な詩集『危機と花冠』 Kriser och Kransar (1926) は,凄絶ともいうべき生との対決と独特の形式とで高く評価され,スウェーデン近代詩の代表作の一つと認められている。精神分裂症的性向から極度の憂鬱症にとらわれることがあり,その詩も内面の悩みを反映して,暗黒のなかに光明の世界を求めるものが多い。処女詩集は『フリーダの書』 Fridas bok (22) で,このなかの詩を歌いながら吟遊の旅をしたこともある。ほかに,小説『砕かれた四重奏』 Kvartetten somsprängdes (24) ,死後出版された詩集『フリーダの書』第2集 (29) ,『地上の思い出』 Minnen från jorden (40) など。

シェーベルイ
Sjöberg, Alf

[生]1903.6.21. ストックホルム
[没]1980.4.17. ストックホルム
スウェーデンの映画監督。舞台俳優,放送演出家を経て,1929年映画監督となる。処女作『一番強い者』 Den starkaste (1929) は北極圏の猟師たちの生活をドキュメンタリー・タッチで描いた秀作といわれた。以来『もだえ』 Hets (44) ,『令嬢ジュリー』 Fröken Julie (51) などの佳作で第2次世界大戦後スウェーデン映画復興に貢献した。特に後者は現在のシーンのなかに過去の出来事が出現する技法を駆使し,その斬新さが注目され,51年のカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した。 69年以後は映画界から退き,舞台演出家として活躍した。

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改訂新版 世界大百科事典 「シェーベルイ」の意味・わかりやすい解説

シェーベルイ
Alf Sjöberg
生没年:1903-81

スウェーデンの映画監督。過去のできごとや人物がいわゆる回想シーンとしてではなく,現在のシーンと同時に同一画面の中に現れるという斬新な手法で強烈な印象を与えた《令嬢ジュリー》(1951)で北欧映画の存在を世界に再認識させた(1951年カンヌ映画祭グランプリ受賞)。1903年,ストックホルムに生まれ,舞台俳優,放送作家を経て,映画監督に進出。44年の《もだえ》は,シナリオを書いたイングマル・ベルイマンを世に出すきっかけになると同時に,戦後のスウェーデン映画の復興の口火を切る作品となった。晩年は舞台の演出に専念した。
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世界大百科事典(旧版)内のシェーベルイの言及

【スウェーデン映画】より

…しかし,1920年代半ばにはこの2人はハリウッドに吸収され(デビュー当初のグレタ・ガルボもいっしょに連れ去られた),そしてやがてトーキー時代に入るや,少数言語であるスウェーデン語の映画は海外市場への進出を阻まれ,こうして40年代末までスウェーデン映画にはほとんど空白の時代が続くことになる。50年代に入ってようやく,カンヌ映画祭で受賞した《令嬢ジュリー》(1951)のアルフ・シェーベルイと記録映画作家アルネ・スックスドルフ(《ジャングル・サガ》1954)がスウェーデン映画の存在をふたたび世界に知らしめた。続いて,シェーベルイ監督の《もだえ》(1944)のシナリオライターとしてデビューし,50年代半ばに《不良少女モニカ》《道化師の夜》(ともに1953),《夏の夜は三たび微笑む》(1955)などで世界を驚かせたイングマル・ベルイマンが,スウェーデン映画の〈神秘主義〉を一身に背負って今日に至っている。…

※「シェーベルイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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