しがらみ草紙(読み)シガラミソウシ

デジタル大辞泉 「しがらみ草紙」の意味・読み・例文・類語

しがらみそうし〔しがらみサウシ〕【しがらみ草紙】

森鴎外が主宰した月刊文芸雑誌。明治22年(1889)10月創刊、明治27年(1894)8月、59号で廃刊幸田露伴落合直文らが執筆浪漫主義拠点となり、文芸評論文壇に確立した。

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精選版 日本国語大辞典 「しがらみ草紙」の意味・読み・例文・類語

しがらみそうし‥サウシ【しがらみ草紙】

  1. 文芸雑誌。明治二二年(一八八九)一〇月創刊、同二七年八月終刊。森鴎外が新声社から出版。全五九冊。小説評論史伝詩歌翻訳などを内容とし、尾崎紅葉、落合直文、幸田露伴、与謝野鉄幹、斎藤緑雨らが執筆した。特に鴎外はドイツ観念論哲学の理論での評論活動を活発に行ない、坪内逍遙との「没理想論争」は文学史上有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「しがらみ草紙」の意味・わかりやすい解説

しがらみ草紙
しがらみぞうし

文芸雑誌。1889年(明治22)10月~94年8月。全59冊。初め新声社、のち、しがらみ社発行。森鴎外(おうがい)を中心に森篤次郎(とくじろう)(三木竹二(たけじ))、小金井喜美子(きみこ)の鴎外弟妹、さらに井上通泰(みちやす)、落合直文(なおぶみ)らが創刊。文壇の流れに柵(しがらみ)をかけるという使命感のもと、文学評論や翻訳に大きな役割を果たした。とくに評論では鴎外が活躍、石橋忍月(にんげつ)との『舞姫』『うたかたの記』論争、あるいは坪内逍遙(しょうよう)とのいわゆる没理想論争などが有名である。翻訳では初期の鴎外『埋(うも)れ木』、小金井喜美子『浴泉記(よくせんき)』が特記されるが、後期では鴎外『即興詩人』の連載がある。創作では鴎外『うたかたの記』、幸田露伴(こうだろはん)『艶魔伝(えんまでん)』のほかはみるべきものはない。また井上通泰や三木竹二らの歌人や歌舞伎(かぶき)作者などの評伝も本誌の特色となっているが、一方、漢詩和歌なども多く掲載している。ほかに執筆者としては、尾崎紅葉、斎藤緑雨(りょくう)、内田不知庵(ふちあん)(魯庵(ろあん))、森田思軒(しけん)らがいる。

[大屋幸世]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「しがらみ草紙」の意味・わかりやすい解説

しがらみ草紙
しがらみぞうし

文芸雑誌。 1889年 10月~94年8月。通巻 59号。森鴎外が弟三木竹二 (森篤次郎) らと,西洋文学に立脚する文学論確立のために始めた日本で初めての文学評論誌。当時の混乱した文壇の流れに柵 (しがらみ) をかける意味で誌名がつけられた。評論を中心とし,演劇改良論,外山正一の画論,石橋忍月の幽玄論,山田美妙の韻文論などを批判した。特に『早稲田文学』の坪内逍遙と応酬した「没理想論争」の鴎外側の拠点となった。そのほか鴎外の『うたかたの記』 (1890) ,幸田露伴の『艶魔伝』 (91) などの小説,鴎外の『即興詩人』,小金井喜美子の『浴泉記』 (92~94,レールモントフ原作) などの翻訳が発表され,文壇に新風を呼んだ。

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