イギリスの内科医。ピューリタン革命の際、クロムウェルの率いる議会派の士官として、王党派との戦争に従軍した。戦後オックスフォード大学で医学を修め、1648年に医師となった。再度従軍したあと、1656年にロンドンのウェストミンスター地区で開業したが、政治への関心のほうが強かった。その後しだいに医業に専念するようになり、フランスのモンペリエに遊学して学識、技術を磨き、1676年50歳を過ぎてからケンブリッジ大学で学位を受けた。個々の疾病の臨床所見やその経過を詳しく調査して、病歴を正確に記載した。疾病の本質、刺激に対する自然良能の反応の状態、原因的因子などに基づいて、疾病を、(1)体液の異常、(2)急性と慢性、(3)散発性と流行性に分類して、その概念を具体化し、医師は多くの病気の鑑別を的確に行わなければいけないと主張した。臨床観察による経験主義で、自然治癒を重視し、従来の物理派や化学派のように理論に重きを置かなかった。一開業医にすぎなかったが、多くの患者の信頼を得てその名声は高くなり、「イギリスのヒポクラテス」と称賛された。痛風、舞踏病、肺炎などの記述があり、主著として『医学観察』Observationes medicae circa morborum acutorum historiam et curationem(1676)を残した。
[古川 明]
イギリスの医者。若いときピューリタン革命に従軍した。オックスフォード大学で医学を修め,1648年に卒業。再度従軍のあと,56年にロンドンで開業し,76年ケンブリッジ大学で学位を得た。彼は個々の病気の所見や経過を詳しく調べて,病歴を正確に記載した。さらに,病気の本質,原因的因子などにもとづいて,疾病を,(1)体液の異常,生命力不調によるもの,(2)急性と慢性,(3)散発性と流行性に分類した。当時の物理的医学派や化学的医学派のように理論に走らず,臨床観察による経験主義で,自然治癒を重要視し,〈イギリスのヒッポクラテス〉とよばれた。痛風,舞踏病,肺炎などの記述があり,主著《医学観察Observationes medicinae》(1676)が名高い。通常リウマチ性疾患に関連して,主として小児におこる小舞踏病chorea minorを詳しく記載したことから,この病気はとくに〈シデナム舞踏病〉とよばれる。
執筆者:古川 明
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…このような条件のもとで,医学は,病人の援助のための諸知識であることから,病気の科学としての輪郭をとりはじめ,方法としての科学が深く広く浸透することになる。病気が動植物の種のように,それぞれ出現と消滅の運命をもった実体であり,病人はそれを宿すことによって病人となるという考えを最初に提出したのは,イギリスのT.シデナムだという。しかし,彼は単に概念の先駆者として,後になって意味づけられただけで,この概念,つまり,病人と切り離した疾病という実体,あるいは実体的な考え方が積極的に採用されるのは,18世紀後半から19世紀初頭にかけて,病院の中で医学が開発されていく時期においてであった。…
…アヘンは前4000年にすでに採集され,ヒッポクラテスもこれを使ったという。T.シデナムはアヘンチンキを鬱(うつ)病の治療に使った。古代ギリシアではユリ科のバイケイソウを鬱病の治療に用いた。…
…自分の意志で抑制できない,急速かつ不規則で不調和な不随意運動が,体の一部または全部の筋肉に起こるもので,患者の歩行が舞踏のようにみえるのでこの名がある(英名choreaはギリシア語でコロスの舞踏を意味するchoreiaに由来する)。シデナム舞踏病,ハンティントン舞踏病が代表的であるが,そのほかにも症候として舞踏病様不随意運動を呈する疾患がいくつかあり,舞踏病という言葉は病名として用いられるばかりでなく,このように症候を示す場合にも使われることがある。
[シデナム舞踏病Sydenham’s chorea]
イギリスの医師T.シデナムにより1684年初めて記載されたもので,小舞踏病chorea minorともいわれる。…
※「シデナム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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