シュナイダーエレクトリック(読み)しゅないだーえれくとりっく(英語表記)Schneider Electric SA

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

シュナイダーエレクトリック
しゅないだーえれくとりっく
Schneider Electric SA

フランスの電機メーカー。1836年、アドルフ・シュナイダーAdolphe Schneider(1802―1845)とユージェーヌ・シュナイダーEugène Schneider(1805―1875)の兄弟が、1782年以来続いていたフランス中部ル・クルーゾ製鉄所買収したことに起源をもつ。1838年、機械工場を設置し、国産第一号の蒸気機関車を製作した。また同年にはシュナイダー社Schneider & Cie.を創設し、シャロン造船所を建設した。1850年代からは鉄製橋梁(きょうりょう)の製作も手がけた。1870年代以降、大砲、装甲鋼板などの兵器生産に進出し、19世紀末には重電機分野を新たに付け加えた。1900年、電気機関車の生産を開始した。

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経営の多角化を推進

第二次世界大戦後、軍需産業から撤退して経営の近代化と多角化の道を歩み始める。1949年、持株会社シュナイダー・グループGroupe Schneiderに改組され、傘下事業子会社を統括する形となった。1960年代にはベルギーのアンパン財閥が経営に介入、1969年から1981年まで一族のエドゥアール・アンパンÉdouard-Jean Empain(1937― )が経営権を握った。この間、シュナイダーは重工業を柱に、電話、土木、不動産、銀行など事業の多角化を進めた。

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電機専門企業へ転換

しかし、1980年代なかば以降は収益性の悪い部門を切り離して、電機以外の分野から次々に撤退、複合企業から電機専門企業へと転換した。1984年電算・通信分野強化のためアメリカのワング・ラボラトリーズ社と技術および販売に関して提携。1986年、鉄道部門をアルストム社に、電話部門を西ドイツのボッシュ・グループに譲渡した。他方、フランスの代表的電機メーカーのメランジェランMerlin Gerin、テレメカニックTelemecanique、アメリカの制御機器会社モディコンModiconを吸収。また1991年にはアメリカの大手電機メーカー、スクエアディーSquare Dを買収して海外基盤を強化した。1993年、核関連事業をフランスの原子炉メーカーのフラマトム社へ売却。経営不振のため1995年に吸収した建設子会社のスピ・バチニョルSpie Batignollesは、負債処理を終えて1997年に売却している。1999年電機専門企業への事業再構築に伴い、現社名に改称した。

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2000年代以降

21世紀に入ってからは、エネルギー関連の専門企業として発展。2010年には、アルストム社との連合により、国営原子力企業アレバから、送電配電事業のアレバ・ティー・ディーAreva T&Dを買収して、スマートグリッド事業の強化を図る。さらに同事業を補強するために、2011年にエネルギー制御などに強いスペインのIT(情報技術)企業、テルベントTelventを買収した。今日、世界でもトップクラスの配電・制御・自動化設備の専門メーカーとして活躍している。2012年の連結売上高は224億ユーロで、粗利益は18億ユーロ。その内訳は、西ヨーロッパ32%、アジア太平洋27%、北米23%、その他18%となっている。従業員数は約14万人。その内訳は西ヨーロッパ32%、アジア太平洋31%、北米21%、その他16%となっている。

 日本にはテレメカニック社、スクエアディー社、メランジェラン社の日本法人を統合したシュナイダーエレクトリックホールディングス株式会社が、シュナイダーエレクトリック株式会社Schneider Electric Japan, Inc.(旧社名はエーピーシー・ジャパン)、株式会社デジタルDigital Electronics Corporation、東芝シュネデール・インバータ株式会社Toshiba Schneider Inverter Co.などを傘下にもって活動している。

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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

シュナイダーエレクトリック
Schneider Electric S.A.

フランスの電機メーカー。1836年シュナイダー兄弟がフランス中部ルクルーゾーの鉱山と製鉄所を買収。1838年,ソシエテ・シュナイダー・フレールを設立。機関車の製作から機械,兵器,鉄鋼,石炭など関連産業を経営し,第1次世界大戦後は一時クルップをしのぐヨーロッパ最大の重工業グループと呼ばれた。金融部門にも進出して 1864年ソシエテ・ジェネラル設立に参加,1920年コンパニ・フィナンシエール・ド・リュニオン・ウーロペエンヌを設立,これを中心にシュナイダー財閥の産業王国を統合していった。1949年子会社フォルゲ・エ・アテレーズ・ド・クルーゾを設立して事業部門を譲渡し,持株会社に改組され,銀行を中心として精錬,製鋼会社をはじめ,機械,造船,電機,化学部門などの巨大会社を統合する代表的大コンツェルンとなった。1963年シュナイダーの株式の約 25%をベルギーのアンパン財閥が買収するとともに両財閥は相互に株式の持ち合いなどを中心にシュナイダー・アンパングループを形成。当時傘下には鉄鋼業を中心に鉱業,造船,重機械,電機,建設,商事,金融など約 40の直系企業をもち,シュナイダー・アンパングループに所属する企業は 160社以上に及んだ。1999年現社名に変更。その後も戦略的 M&Aを重ね,設備・システム制御事業,ソフトウェア事業などにも進出した。

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