ジェルソン(その他表記)Jean le Charlier de Gerson

改訂新版 世界大百科事典 「ジェルソン」の意味・わかりやすい解説

ジェルソン
Jean le Charlier de Gerson
生没年:1363-1429

フランス神学者。〈最キリスト教的博士Doctor christianissimus〉と称される。アルデンヌ県ルテル付近に生まれ,1377年パリのナバール学寮でP.ダイイのもとで学び,94年神学博士となり,翌年にはノートル・ダム司教座聖堂およびパリ大学の文書局長となる。1397-1401年の間フランドルのブリュージュに隠棲し,そこで教会改革と〈大離教(シスマ)〉の終結を求める諸論文を書いた。フランス聖職者の大部分は1398年アビニョン教皇への服従拒否を決議したが,彼はこれに加わらなかった。しかし後には公会議首位説に傾き,コンスタンツ公会議では指導的な役割を果たした。大学論,教会論,神秘主義に関する多くの著作によってニコラウス・クサヌスら15世紀の思想家に甚大な影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジェルソン」の意味・わかりやすい解説

ジェルソン
Gerson, Jean Charlier de

[生]1363.12.13. ランス,ジェルソン
[没]1429.7.12. リヨン
中世後期フランスの最も卓越した教会指導者,神学者。ラテン名 Johannes Gersonius。「最もキリスト教的なる博士」といわれる。アイイの弟子で,1395年師を継いでパリ大学総長。ヨーロッパの大離教の解決に精力を注ぎ,公会議首位説に立ってピサ教会会議 (1409) を公会議として支持し,コンスタンツ公会議 (14~18) にのぞんで指導的役割を果した。フス断罪を説く J.プチ排斥にも参画。また教会の改革のために祈りと犠牲の必要を説いた。神学的には神の意志の絶対性を中核悔悛謙遜を説き,単純で純粋な信仰を求めて,聖書と教父に帰ることを主張した。またボナベントゥラやサン・ビクトル派の影響を受けて神秘主義に近づき,『キリストにならいて』の作者に擬せられたこともある。主著"Contra vanam curiositatem in negotio fidei""Traité contre le Roman de la Rose" (02) ,"Consolatio theologiae" (18) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジェルソン」の意味・わかりやすい解説

ジェルソン
じぇるそん
Jean de Gerson
(1363―1429)

フランスの神学者。ランス近くのジェルソン村に生まれる。とくに説教に秀でていた。1398年パリ大学事務総長。当時のカトリック教会分裂に心を痛め、アビニョンの教皇庁廃止と新しいローマ教皇選出に奔走し、パリおよびコンスタンツの両公会議(1413~1418)を通して、カトリック教会の統一を実現させた。神学上では、観想生活に基づく神秘神学の確立に力を注ぎ「最高にキリスト者的な博士」とよばれた。

[目黒士門 2015年1月20日]

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