スウェーデン=ポーランド戦争(読み)スウェーデン=ポーランドせんそう(その他表記)Swedish-Polish War

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

スウェーデン=ポーランド戦争
スウェーデン=ポーランドせんそう
Swedish-Polish War

スウェーデン王位の継承問題を理由に 1655~60年,スウェーデン王カルル 10世グスタフとポーランドカジミエシ5世との間に戦われた戦争。 54年スウェーデン女王クリスティナは従兄カルル 10世に譲位,バーサ朝に属するカジミエシ5世がこの継承を否認したことから開戦となった。ブランデンブルク選帝侯と同盟したスウェーデンが大勝,首都ワルシャワを含む国土大半占領,これを恐れたロシアデンマーク,オランダ,ドイツが挑戦し,ブランデンブルクも寝返った。スウェーデンはオランダ牽制をはかるイギリスと同盟したが,60年カルル 10世が急逝し,同年4月オリーバ条約を結び,5月コペンハーゲンの和約でこの戦争を終結。スウェーデンは依然北方雄国の地位を保ち,ポーランドはスウェーデンの王位要求を断念した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

スウェーデン‐ポーランド戦争(スウェーデン‐ポーランドせんそう)

1655年9月~60年5月,スウェーデン‐ポーランド間で戦われた戦争。第1次北方戦争とも。17世紀前半にスウェーデン,ロシアと戦い,またウクライナを失ったポーランド大王国の国力消耗につけこみ,スウェーデン王カール10世はポーランドに軍を進め,首都ワルシャワを含む国土の大部分を占領した。しかしポーランド山地の農民抵抗に悩まされたスウェーデン軍はついに撤収せざるをえず,ポーランド軍はこれを追撃してデンマーク領に入った。フランス調停によって60年に和議が成立し,両国は互いに戦前国境を確認した。

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百科事典マイペディア の解説

スウェーデン・ポーランド戦争【スウェーデンポーランドせんそう】

1655年―1660年に行われた戦い。バルト海沿岸の権益をめぐる戦争で国力を消耗したポーランドに対し,当時勢力強大だったスウェーデンのカール10世が侵入。スウェーデン軍はポーランドの大半を占領したが,農民の頑強な抵抗にあい,撤退。フランスの仲介で和を結び,戦前の国境線に復した。

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旺文社世界史事典 三訂版 の解説

スウェーデン−ポーランド戦争
スウェーデン−ポーランドせんそう

1655年に起こったスウェーデン王カール10世によるポーランド侵略戦争
ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ=ヴィルヘルムと結んで首都ワルシャワを陥れ,1660年リトアニアがスウェーデン領であることをポーランドに認めさせた。

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