改訂新版 世界大百科事典 「ステシコロス」の意味・わかりやすい解説
ステシコロス
Stēsichoros
古代ギリシアの抒情詩人。前600年前後シチリア島のヒメラを中心に活躍したが,生没年などその生涯の詳細は不明。プラトンの伝えるところによれば,ステシコロスはトロイア戦争の原因とされる美女ヘレネを非難したために神々の怒りに触れて失明,後に己の非を認めた詩《パリノディア》を作り,トロイアの王子パリスに誘拐されたのは彼女の替玉であったという伝説解釈を公にしたところ,失われた視力が回復した,といわれている。
ステシコロスは神話・伝説を合唱詩形の歌物語として多数作った。トロイア落城悲歌,オレステス物語,ヘラクレスの武勇の歌,カリュドンの猪狩りの歌など,ホメロス以後の古期英雄叙事詩と共通の題材を扱ったものが多い。しかしそのほかに乙女カリュケの悲恋物語,花嫁ラディネの兄や従弟たちの悲劇,シチリアの牛飼いダフニスの恋と悲哀を歌ったものなど,恋愛を主題としたものも少なくなかったことが,後世の文献に含まれた間接的な言及やパラフレーズによって伝えられる。古代には24巻を満たしたという合唱詩作品は散逸し,かろうじて近年発見された数編のパピルス書巻断片が,その詩風を直接伝えるものとなっている。
彼は合唱詩文芸共通のドリス風方言形を用いているが,修飾語をはじめとする措辞はイオニアの叙事詩と酷似しており,特に《帰郷譚》の一部と目される断片は,ホメロスの《オデュッセイア》の一段とまったく同一の場面を歌っており,共通の単語を用いている部分もある。《カリュドンの猪狩り》の一部を伝える断片や,ヘラクレス物語の一つ《ゲリュオン退治》の断片からも,同様の詩法が確認される。1977年フランスのリールで発見された,同様の措辞,方言,律格による長大な詩がステシコロスの作であるならば,ここで彼は,オイディプス王の母であり妻でもあるイオカステを登場させて,彼女に複雑な心情を吐露する劇的な独白を歌わせている。ステシコロスの歌物語が,後世のアイスキュロスやエウリピデスらの悲劇詩人らの芸術に甚大な影響を与えたことは想像に難くない。
執筆者:久保 正彰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報