ストラテゴス(その他表記)stratēgos

改訂新版 世界大百科事典 「ストラテゴス」の意味・わかりやすい解説

ストラテゴス
stratēgos

古代ギリシアの陸軍・海軍の指揮官。後に広範な行政権を賦与された高位の役職名となる。〈将軍〉と訳されることが多い。クレイステネス改革後のアテナイでは,10人が部族ごとに(後には全市民の間から)選ばれて,アルコンポレマルコス司令のもとに部族成員の指揮にあたった。前487年の抽選制導入によりアルコン職の地位が低下すると,挙手による選出のうえに重任が許されていたため,この職の比重は増大した。ペリクレスがアテナイの政界で長年指導的位置を占めたのも,彼が連年15回もこの職を務めたことが大きい。ストラテゴスは軍事に関連する広範な権能を有していたが,年に10回の職務審査が義務づけられていた。

 同様の職務は,コリントスアルゴス,シラクサ,エレトリアにも見いだされる。ヘレニズム期には,セレウコス朝シリアやプトレマイオス朝エジプトにも同名の役職が設けられたが,これらは主として王国の行政を担当した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストラテゴス」の意味・わかりやすい解説

ストラテゴス
stratēgos

ギリシア語で「将軍」の意。前5世紀のアテネでは軍事,政治両面に重要な役職であった。前 501/0年以来,各部族 (フュレ) から1名,計 10名のストラテゴスたちが民会 (エクレシア ) の選挙で選ばれ,任期は1年で重任が許された。彼らはポレマルコス (ポリスの軍事,外人管理を司る最高官) のもとで,各自の部族の軍団を指揮した。前 487/6年アルコン職が抽選制になるとポレマルコスは軍事指揮官であることをやめ,ストラテゴスの権威は高まり,事実上国家の最高役職となり,軍事指揮だけではなく政治的指導者でもあった。テミストクレスキモンはその初期の例。ペリクレスは前 443年以降死ぬまでほとんど毎年再選された。アテネの軍事力が衰えて以後は,政治的影響力を得る手段ではなくなり,職務分担が決められるようになった。ヘレニズム時代にはアイトリアアカイア連盟の政治,軍事両面に広い権限をもつ役職の名称となり,ヘレニズム諸王朝の地方長官の呼称でもあった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ストラテゴス」の解説

ストラテゴス
strategos

古代ギリシアの将軍職
アテネではクレイステネスの改革で10部族から1名ずつ計10名を民会で選出。1年任期で重任も許された。戦時にはこの中のひとりが最高司令官に就任。抽選による選出で無力化したアルコン(執政官)に代わって,ポリスの最高権力者となった。ペリクレスは15年続けてこの職に選ばれた。

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世界大百科事典(旧版)内のストラテゴスの言及

【テマ】より

…中期ビザンティン帝国の軍制ならびに地方行政組織。最初,属州に駐屯した軍団を指し,続いて駐屯が行われた属州の地方行政一般をも軍団司令官(ストラテゴスstratēgos)が兼掌するにいたったところから,その行政管轄下にある属州そのものを意味するにいたり,小アジア(アナトリア)から始まったテマ制が完成の域に達した9世紀末,全領土は,小アジアで14,バルカン,シチリア,南イタリアで12,クリミア半島南部で1のテマから成っていた。以後,征服地の拡大に伴ってテマが新設された。…

【テマ】より

…中期ビザンティン帝国の軍制ならびに地方行政組織。最初,属州に駐屯した軍団を指し,続いて駐屯が行われた属州の地方行政一般をも軍団司令官(ストラテゴスstratēgos)が兼掌するにいたったところから,その行政管轄下にある属州そのものを意味するにいたり,小アジア(アナトリア)から始まったテマ制が完成の域に達した9世紀末,全領土は,小アジアで14,バルカン,シチリア,南イタリアで12,クリミア半島南部で1のテマから成っていた。以後,征服地の拡大に伴ってテマが新設された。…

※「ストラテゴス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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