スバールバル諸島(読み)すばーるばるしょとう(英語表記)Svalbard

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スバールバル諸島」の意味・わかりやすい解説

スバールバル諸島
すばーるばるしょとう
Svalbard

北極圏にあるノルウェー領の島嶼(とうしょ)群。ノルウェー北端の海岸からバレンツ海を北へ約650キロメートル、北緯74~81度に浮かぶ。スピッツベルゲンSpitsbergen諸島ともいう。主島は最大のスピッツベルゲン島で、ほかにノールオウストランデ、バレント、エドゲなどの島々がある。総面積6万1229平方キロメートル、人口2423(1999)。島の大部分は氷雪に覆われる。月平均気温が0℃以上を示すのは6月から9月までの夏4か月だけで、7月でも6.4℃にすぎない(スバールバル空港の気象観測による)。ツンドラ(永久凍土帯)気候という寒冷な環境にありながら人間の居住地域となっているのは、石炭資源に恵まれたからである。1920年ノルウェーが主権をもつことになったが、資源利用は他国にも開放されたので、スピッツベルゲン島のイスフィヨルド周辺の炭田には、ノルウェーのほかロシア炭鉱もある。ノルウェーの炭鉱からは39万9940トンの石炭が生産され、全人口中939人はロシア人である(1999)。

[竹内清文]

歴史

1149年に発見されたとアイスランドの書(Landnámabók)は記している。16世紀後半から、近海でヨーロッパ諸国捕鯨に従事した。1618年、イギリス、オランダが島内に分割線を引き、一時期ノルウェー・デンマーク同君連合王クリスティアン4世が主権を要求した。捕鯨の衰退後は、ロシア、ノルウェーの船が狩猟に訪れるのみで、主権者不在の状況が続く。19世紀後半、石炭鉱床の発見を機に諸国の関心の的となり、1910~1914年、その所有権をめぐって三たび国際会議がオスロで開かれた。

 第一次世界大戦中は、一時、ソ連、ノルウェー、スウェーデンの共同管理下に置かれ、1920年パリ会議で、軍事基地の不設置、経済面での門戸開放を条件に、ノルウェーの主権が認められた。第二次世界大戦中はドイツに占領され、また戦略上、米ソ間にまたがる位置にあることから、1944年と1947年にソ連がノルウェー政権に将来の共同防衛を提案したことがあるが、ノルウェーは不同意であった。米ソ対立時代は軍事戦略上、重要視された。

[大島美穂]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スバールバル諸島」の意味・わかりやすい解説

スバールバル諸島
スバールバルしょとう
Svalbard

ノルウェー北方の北極海に浮かぶ島群。ノルウェー領。東経10°~35°,北緯74°~81°の間に分布。世界最北の定住地。スピッツベルゲン島ノールアウストラン島(北東島),バレンツ島,エッジ島など九つの島を中心に構成される。海岸は深いフィヨルドをなし,陸地の 60%は氷河に覆われる。南西側は北大西洋海流によってスウェーデン,フィンランドよりも高温。雨量も多く,ムギ,トマトが生育する。12世紀にバイキング来訪。1596年オランダの航海家ウィレム・バレンツの来訪後,捕鯨基地として利用する国が増えた。19世紀初頭に捕鯨が衰退したのちは,スピッツベルゲン島の豊富な石炭が注目され,採掘権をめぐって,ノルウェー,ロシア,スウェーデン,イギリス,アメリカ合衆国などが争ったが,1920年ノルウェーの主権が承認され,1925年正式にノルウェー領となった。人口は季節により変動するが約 3000。総面積 6万2700km2(うち最大のスピッツベルゲン島 3万9044km2)。

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