改訂新版 世界大百科事典 の解説
ソビエト連邦科学アカデミー (ソビエトれんぽうかがくアカデミー)
Akademiya Nauk SSSR
ソ連邦の最高学術機関。ソ連国内では最も権威ある機関のひとつで,アカデミー会員の総会は共産党に対しても一定の自立性を有する。科学アカデミーの構成部門は16あり,それが4セクションに分れている。セクション名と部門名は以下のとおり。物理工学・数学(数学,一般物理学・天文学,核物理学,エネルギー論の物理工学的問題,力学・制御工程)。化学テクノロジー・生物学(一般および工業化学,無機物質の物理化学とテクノロジー,生理学的活性化合物の生化学・生物物理学・化学,生理学,一般生物学)。地球学(地質学・地球物理学・地球化学,海洋学・地理学・大気圏物理学)。社会科学(歴史学,哲学・法学,経済学,文学・言語学)。このほかに1957年以後ソ連東部の経済・文化開発を目的としてシベリア部門(総支部)がノボシビルスクに設けられており,重要な研究活動を行っている。これら諸部門には二百数十の研究所,試験場,博物館など学術施設が付属し,4万人以上の研究者が働いている。科学アカデミーの最高機関は正会員,準会員からなる総会であり,その会期と会期の間の代行機関として幹部会がある。
ソ連邦科学アカデミーの前身は帝国サンクト・ペテルブルグ科学アカデミーである。これはもともとピョートル1世が,科学,技術,芸術の面で西欧に追いつこうとして1724年に計画したものであるが,科学・芸術アカデミーとして開設されたのは彼の死後の25年の末であり,当初会員はほとんど外国人であった。1803年からは帝国アカデミー,36年以降は帝国サンクト・ペテルブルグ科学アカデミーと称された。1917年2月の帝政崩壊後はロシア科学アカデミーと改名され,25年7月に現在の名称となった。33年教育人民委員部から人民委員会議(内閣)の直轄に移され,翌年レニングラードからモスクワに移った。36年共産主義アカデミーと合併し,それまでの自然科学部門だけでなく,社会科学部門も擁するにいたった。現在はソ連邦閣僚会議に直属している。ロシア共和国を除く14の共和国には各共和国科学アカデミーが,また別に医学アカデミー,教育学アカデミー,レーニン記念全ソ農学アカデミー,芸術アカデミーなどがあり,中央の科学アカデミーと協力関係を保っている。ソ連邦解体に伴い,連邦科学アカデミーは,すでに90年7月に発足していたロシア科学アカデミーと91年12月に合流。各共和国の科学アカデミーは共和国とともに独立した。
執筆者:袴田 茂樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報