ソンニーノ(読み)そんにーの(英語表記)Giorgio Sidney Sonnino

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソンニーノ」の意味・わかりやすい解説

ソンニーノ
そんにーの
Giorgio Sidney Sonnino
(1847―1922)

イタリアの政治家、男爵外交官として諸外国に駐在したのち、社会問題の研究に転じ、友人のL・フランケッティとともにトスカナシチリアについての農業調査を発表(1875~1876)、また南部問題を含む社会問題に対する穏和な改革を目ざした週刊評論誌『ラッセーニャ・セッティマナーレ』を創刊(1878)。その後下院に入り、クリスピ政府の下で大蔵次官、財務相(1893~1894、1894~1896)を務めた。社会主義とカトリックという左右の大衆運動の圧力による世紀末の危機に際しては、中道右派(保守的自由主義)の頭脳として国家の執行権の強化を提唱したが、20世紀に入るとローマの有力日刊紙『ジョルナーレ・ディタリア』を創立して反ジョリッティ論陣を張り、二度首相の地位についた(1906、1909~1910)。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)時には三国同盟維持に傾いていたが、サランドラ政府の外相に迎えられる(1914.11)と協商国側にたつイタリア参戦の政府当事者になった。大戦中から1919年まで外相の地位にとどまり、パリ平和会議にも参加。イタリア最初のプロテスタント首相であり、終生独身の学究であった。

[重岡保郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソンニーノ」の意味・わかりやすい解説

ソンニーノ
Sonnino, Giorgio Sidney

[生]1847.3.11. ピサ
[没]1922.11.24. ローマ
イタリアの政治家。外交官として出発したが,すぐに研究生活に移り,1870年代にトスカナとシチリアの農村生活に関する貴重な調査結果を発表した。 80年下院議員となり,93~96年蔵相のポストに就任して重要な財政改革を行なった。保守的自由主義の立場にたって,20世紀初頭のジョリッティ体制に対する攻撃を続け,1906年と 09~10年の2度首相をつとめた。 14年 11月 A.サランドラ内閣の外相となり,翌年4月にロンド秘密条約を結び,連合国側で第1次世界大戦に参戦することを選んだ。大戦中続けて外相にとどまり,戦後のパリ平和会議に参加したが,イタリアの主張がいれられず,19年6月外相を辞任,引退した。

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