タフト(読み)たふと(英語表記)William Howard Taft

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タフト」の意味・わかりやすい解説

タフト
Taft, William Howard

[生]1857.9.15. オハイオ,シンシナティ
[没]1930.3.8. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。第 27代大統領 (在任 1909~13) 。法曹界で活躍したあと,1901年フィリピンの初代文官総督となった。 04~08年 T.ルーズベルト大統領のもとで陸軍長官。 08年にはルーズベルトの後継者として共和党大統領候補となり,W.ブライアンを破って当選し,09年就任した。在任中,国務長官 P.ノックスとともに「ドル外交」を展開し,ラテンアメリカ諸国に対する輸出増加をはかるとともに,財政援助の形による介入を進めた。一方,運河建設可能地帯であるニカラグアに対しては海兵隊を進駐させるなど,ラテンアメリカをアメリカの支配下におこうとした。また,中国に対しては満州鉄道の国際化を提案したが日本とロシアの反対にあって挫折し,対中国借款の形をとって経済的進出をはかった。 12年の大統領選挙で共和党革新派と分れ,T. W.ウィルソンに敗れた。その後,21年までエール大学法学教授。同年 W.ハーディング大統領により第 10代連邦最高裁判所長官に任命され,生涯その職にあった。

タフト
Taft, Robert Alphonso

[生]1889.9.8. オハイオ,シンシナティ
[没]1953.7.31. ニューヨーク
アメリカの政治家。第 27代アメリカ大統領 W.タフトの息子。エール,ハーバード両大学を卒業後,1913年オハイオ州で弁護士の資格を取得。 20年にオハイオ州下院議員に当選して政界に入った。 38年合衆国上院議員に当選,ニューディール政策 (→ニューディール ) の急進的な傾向や中央集権化を批判し,また 47年のタフト=ハートレー法の立法化に尽力した。共和党の大統領候補指名選挙に2度立候補したが敗れ,共和党の上院院内総務となり D.アイゼンハワー大統領に協力したが,癌のため急死

タフト
Taft, Lorado

[生]1860.4.29. イリノイ,エルムウッド
[没]1936.10.30. イリノイ,シカゴ
アメリカ合衆国の彫刻家イリノイ大学卒業,4年間パリのエコール・デ・ボザールに学ぶ。1883年シカゴにアトリエを開き,以後,公園の泉,戦勝碑,肖像彫刻などを制作。シカゴ美術研究所(→シカゴ美術館)およびイリノイ大学で美術を講じた。主要作品『魂の孤独』,『盲目』(シカゴ美術館),『ワシントン像』(シアトル),『時の泉』(1922,シカゴ,ワシントン公園ほか)など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タフト」の意味・わかりやすい解説

タフト(William Howard Taft)
たふと
William Howard Taft
(1857―1930)

アメリカ合衆国第27代大統領(在任1909~13)。著名な法律家を父に、オハイオ州に生まれる。19世紀末から、巡回裁判所判事(1892~1900)、フィリピン植民地総督(1900~04)など、連邦政府の司法と行政にかかわる多くの官職歴任、保守的であるとともに誠実な法律家、有能な行政官として知られた。その後、T・ルーズベルト政権の陸軍長官(1904~08)に登用され、1908年、彼の後継者として共和党より大統領に当選した。大統領在職中、独占規制、自然保護、郵便貯蓄制度の成立などに業績をあげ、連邦所得税を定めた憲法修正16条の成立などに努力したが、12年の選挙では、共和党の分裂のため敗れた。その後、エール大学教授(1913~21)、晩年に最高裁長官(1921~30)を務めた。彼の大統領期は、またアメリカの対外進出期にあたり、その外交政策は、対外投資の拡大を推進する「ドル外交」として知られた。

[紀平英作]



タフト(Robert Alphonso Taft)
たふと
Robert Alphonso Taft
(1889―1953)

アメリカの政治家。元大統領W・H・タフトの子。タフト、エール、ハーバード各大学で学んだのち、オハイオ州で弁護士を開業。第一次世界大戦時は戦時食糧庁でH・フーバーを補佐、戦後はヨーロッパで戦災救済活動に従う。その後政界に入りオハイオ州議会での活動を経て、連邦議会上院議員(1936~1953)となった。共和党の有力議員として、内政面では個人と企業活動の自由を唱え、連邦政府機能の肥大化、赤字財政を批判。反組織労働立法タフト‐ハートレー法の成立で知られる。対外政策では「孤立主義者」として西欧への介入を批判、IMF・世銀への加盟、マーシャル・プラン等に反対したが、その一方で極東への介入には積極的であった。

[牧野 裕]

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