アメリカ合衆国第27代大統領。在職1909-13年。第9代最高裁首席判事(1921-30),弁護士。1901-04年,フィリピン総督として内乱の収拾と農地改革をはじめとする諸改革を断行。T.ローズベルト政権の陸軍長官時代(1904-08),桂=タフト協定(1905),日本移民の自主規制を約束させた日米紳士協約(1907)の締結,パナマ運河建設計画の推進,およびキューバの秩序の回復に貢献。09年,ローズベルトの後継者として大統領に就任。トラスト規制をすすめる一方,中南米,極東においていわゆる〈ドル外交〉を推進する。ペーン=オルドリッチ関税法(1909),自然保護政策に関するバリンジャー=ピンショー論争をめぐり共和党左派の進歩派と対立して党の分裂を招き,12年の選挙ではT.W.ウィルソンに敗北。13年からイェール大学法学部教授。第1次大戦末期から国家戦時労働評議会委員長(1918-19)を務める。最高裁判事時代は,最高裁内の意見の調整とその能率の向上につとめる。
執筆者:松田 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アメリカ合衆国第27代大統領(在任1909~13)。著名な法律家を父に、オハイオ州に生まれる。19世紀末から、巡回裁判所判事(1892~1900)、フィリピン植民地総督(1900~04)など、連邦政府の司法と行政にかかわる多くの官職を歴任、保守的であるとともに誠実な法律家、有能な行政官として知られた。その後、T・ルーズベルト政権の陸軍長官(1904~08)に登用され、1908年、彼の後継者として共和党より大統領に当選した。大統領在職中、独占規制、自然保護、郵便貯蓄制度の成立などに業績をあげ、連邦所得税を定めた憲法修正16条の成立などに努力したが、12年の選挙では、共和党の分裂のため敗れた。その後、エール大学教授(1913~21)、晩年に最高裁長官(1921~30)を務めた。彼の大統領期は、またアメリカの対外進出期にあたり、その外交政策は、対外投資の拡大を推進する「ドル外交」として知られた。
[紀平英作]
アメリカの政治家。元大統領W・H・タフトの子。タフト、エール、ハーバード各大学で学んだのち、オハイオ州で弁護士を開業。第一次世界大戦時は戦時食糧庁でH・フーバーを補佐、戦後はヨーロッパで戦災救済活動に従う。その後政界に入りオハイオ州議会での活動を経て、連邦議会上院議員(1936~1953)となった。共和党の有力議員として、内政面では個人と企業活動の自由を唱え、連邦政府機能の肥大化、赤字財政を批判。反組織労働立法タフト‐ハートレー法の成立で知られる。対外政策では「孤立主義者」として西欧への介入を批判、IMF・世銀への加盟、マーシャル・プラン等に反対したが、その一方で極東への介入には積極的であった。
[牧野 裕]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1857~1930
アメリカの政治家,第27代大統領(在任1909~13)。共和党の革新主義者として,トラスト規制,累進所得税制,上院議員直接選挙の実現に尽力,対外的にはドル外交を展開した。1912年大統領選挙で党内革新派と対立し敗北。21年連邦最高裁長官に就任。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…正式には1947年労使関係法Labor‐Management Relations Act。通称は提案者R.A.タフトとF.A.ハートリーに由来する。タフト=ハートリー法は,1935年のワグナー法を修正して,雇主と組合との責任を平等化しようとした法律である。…
…彼はまた,アメリカの豊かな自然と資源が私益の犠牲となって破壊されているのを憂え,天然資源保護政策にも力を入れた。次のタフト大統領(在職1909‐13)は革新政治家としての個性は比較的弱いが,その在任中には,19世紀後半以来改革運動の懸案であった連邦所得税と上院議員の直接選挙を定めた憲法第16,17修正(ともに1913発効)が成立している。個人の機会保持と自由競争に重点を置く〈ニューフリーダム〉の構想を掲げて登場したウィルソン大統領(在職1913‐21)は,熱心に不正な企業活動を取り締まり,関税を引き下げ,銀行通貨制度の根本的な改革を行い,農民に低利の長期信用を与え,労働条件を改善するための連邦法をつぎつぎに世に送り出した。…
…1905年,アメリカと日本の間にかわされた朝鮮(大韓帝国)およびフィリピンに関する秘密覚書。同年7月,フィリピン視察の帰途来日したアメリカ陸軍長官W.H.タフトは桂太郎首相と会談し,両者はつぎのような覚書を確認した。(1)日本はアメリカのフィリピン統治を承認する。…
…海外投資を促進させ,もって海外市場を広げ,政治的・経済的影響力の増大をはかろうとするアメリカ外交政策の流れをいう。とくに20世紀初頭タフト大統領とノックス国務長官によって,中南米と東アジアで強力に推進された。このような経済的な外交政策の平和的性格を強調したタフトが,〈弾丸に代えるにドルをもってする〉と述べたことからこの名がつけられた。…
※「タフト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新