ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タフト」の意味・わかりやすい解説
タフト
Taft, William Howard
[没]1930.3.8. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。第 27代大統領 (在任 1909~13) 。法曹界で活躍したあと,1901年フィリピンの初代文官総督となった。 04~08年 T.ルーズベルト大統領のもとで陸軍長官。 08年にはルーズベルトの後継者として共和党大統領候補となり,W.ブライアンを破って当選し,09年就任した。在任中,国務長官 P.ノックスとともに「ドル外交」を展開し,ラテンアメリカ諸国に対する輸出増加をはかるとともに,財政援助の形による介入を進めた。一方,運河建設可能地帯であるニカラグアに対しては海兵隊を進駐させるなど,ラテンアメリカをアメリカの支配下におこうとした。また,中国に対しては満州鉄道の国際化を提案したが日本とロシアの反対にあって挫折し,対中国借款の形をとって経済的進出をはかった。 12年の大統領選挙で共和党革新派と分れ,T. W.ウィルソンに敗れた。その後,21年までエール大学法学教授。同年 W.ハーディング大統領により第 10代連邦最高裁判所長官に任命され,生涯その職にあった。
タフト
Taft, Robert Alphonso
[没]1953.7.31. ニューヨーク
アメリカの政治家。第 27代アメリカ大統領 W.タフトの息子。エール,ハーバード両大学を卒業後,1913年オハイオ州で弁護士の資格を取得。 20年にオハイオ州下院議員に当選して政界に入った。 38年合衆国上院議員に当選,ニューディール政策 (→ニューディール ) の急進的な傾向や中央集権化を批判し,また 47年のタフト=ハートレー法の立法化に尽力した。共和党の大統領候補指名選挙に2度立候補したが敗れ,共和党の上院院内総務となり D.アイゼンハワー大統領に協力したが,癌のため急死。
タフト
Taft, Lorado
[没]1936.10.30. イリノイ,シカゴ
アメリカ合衆国の彫刻家。イリノイ大学卒業,4年間パリのエコール・デ・ボザールに学ぶ。1883年シカゴにアトリエを開き,以後,公園の泉,戦勝碑,肖像彫刻などを制作。シカゴ美術研究所(→シカゴ美術館)およびイリノイ大学で美術を講じた。主要作品『魂の孤独』,『盲目』(シカゴ美術館),『ワシントン像』(シアトル),『時の泉』(1922,シカゴ,ワシントン公園ほか)など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報