日本大百科全書(ニッポニカ) 「高階秀爾」の意味・わかりやすい解説
高階秀爾
たかしなしゅうじ
(1932― )
美術史家、美術評論家。東京生まれ。旧制第一高等学校を経て、1953年(昭和28)、東京大学教養学部卒業。同大学院人文科学研究科美術史専攻満期退学。大学院在学中の1954年、フランス政府招聘(しょうへい)給費留学生としてパリ大学付属美術研究所に留学し、帰国後1959年より国立西洋美術館に勤務(1965年に同美術館主任研究員)。1971年東京大学文学部に異動し助教授に就任(1979年に同教授)、1992年(平成4)に退官し名誉教授。また同年より2000年まで国立西洋美術館館長を務める。
専門領域はフランス近代美術(とくに19世紀)だが関心は広く、ルネサンス、世紀末美術、日本美術などにも造詣(ぞうけい)が深い。1963年の処女作『世紀末芸術』以来、多くの著訳書を刊行、平明で啓蒙(けいもう)的な語り口には定評があり、また「歴史」「伝統」「制度」「言語」「社会」といった重要な論点を網羅した緻密(ちみつ)な論証によっても知られる。『ルネッサンスの光と闇(やみ)』(1971)が芸術選奨文部大臣賞を、ケネス・クラーク『ザ・ヌード』The Nude; A Study in Ideal Art(1971)の翻訳(佐々木英也(1932― )と共訳)が翻訳文化賞(1972)を受賞したのをはじめ、NHK放送文化賞(1988)、明治村賞(1997)、日本文化デザイン会議賞(1998)など、多くの受賞歴をもつ。2000年には紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章した。また長年フランス美術の紹介や日仏文化交流に携わってきた功績に対しては、芸術文化勲章シュバリエ章(1981)、芸術文化勲章オフィシエ章(1989)、レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章(2001)など、フランス政府からも数多く表彰されているほか、ロンドンやニューヨーク、ベネチアでも在学研究の経験をもつ。そのほかにも、『ピカソ・剽窃(ひょうせつ)の論理』(1964)、『フィレンツェ』(1966)、『名画を見る眼(め)』正・続(1969、71)、『芸術のパトロンたち』(1997)など著書多数。大学在職中は多くの優秀な研究者を養成、1992年の退官に当たっては記念論文集『美術史の六つの断面』が編纂(へんさん)された。
2002年岡山県倉敷市の大原美術館館長に就任、地方美術館の実情に即した活性化を意図して多くの新機軸を打ち出している。また文化審議会会長も兼務。エッセイストの高階菖子(しょうこ)(1936― )は妻、黒田清輝(せいき)や岡倉天心(てんしん)の研究で知られる美術史家の高階絵里加(えりか)は娘。2005年文化功労者。
[暮沢剛巳]
『『ピカソ――剽窃の論理』(1964・筑摩書房)』▽『『ルネッサンスの光と闇』(中公文庫)』▽『『世紀末芸術』(紀伊國屋新書)』▽『『フィレンツェ』(中公新書)』▽『『芸術のパトロンたち』『名画を見る眼』『続名画を見る眼』(岩波新書)』▽『ケネス・クラーク著、高階秀爾・佐々木英也訳『ザ・ヌード――裸体芸術論 理想的形態の研究』(1988・美術出版社)』▽『高階秀爾先生還暦記念論文集編集委員会編『美術史の六つの断面――高階秀爾先生に捧げる美術史論集』(1992・美術出版社)』