チェルノフ(読み)ちぇるのふ(英語表記)Виктор Михайлович Чернов/Viktor Mihaylovich Chernov

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チェルノフ」の意味・わかりやすい解説

チェルノフ(Dmitriy Konstantinovich Chernov)
ちぇるのふ
Дмитрий Константинович Чернов/Dmitriy Konstantinovich Chernov
(1839―1921)

ロシアの金属科学者。ペテルブルグ(現、サンクト・ペテルブルグ)に生まれる。1860年代、同地のオブーコフ製鋼所の製鋼技師となり、ヨーロッパから導入されたばかりの平炉法で溶鋼から砲身を製造した。インドの波紋の出る鋼ブラート(ウーツ鋼)の製法の研究に端を発して、鉄鋼の凝固過程の研究に熱中した。樹枝状晶、結晶粒子の生成過程を明らかにし、鋼の焼入れ・焼戻しの温度の臨界点を究め、鉄の結晶構造の変態点をつきとめた。これらは金属組織学の草創期の重要な業績で、のちにオスモンの鉄の変態の理論、オーステンWilliam C. Roberts-Austen(1843―1902)およびローゼボームの鉄‐炭素平衡状態図などに結実した。

中沢護人


チェルノフ(Viktor Mihaylovich Chernov)
ちぇるのふ
Виктор Михайлович Чернов/Viktor Mihaylovich Chernov
(1873―1952)

ロシアの革命家。SR(エスエル)(社会革命党)の指導者。ボルガ地方サマーラ県の出身。19世紀のナロードニキ主義を20世紀初頭のロシアの実情にあわせて党の理論的基礎をつくった。長いヨーロッパ亡命生活ののち1917年の二月革命で帰国、5月から8月まで臨時政府の農相。十月革命後の憲法制定会議では議長に選ばれた。内戦期にはボリシェビキ(赤軍)とブルジョア地主勢力(白軍)の中間にたつ「第三勢力」の結集を目ざしたが失敗に終わり、1920年に亡命。大戦間期は主としてチェコスロバキアプラハ(現チェコ共和国首都)、晩年ニューヨークで生活し、著述活動を行った。

[原 暉之]

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