改訂新版 世界大百科事典 「チェルノフ」の意味・わかりやすい解説
チェルノフ
Viktor Mikhailovich Chernov
生没年:1873-1952
ロシアの革命家。エス・エル党の指導者。農民出の小官吏の子に生まれ,ボルガ沿岸で育った。サラトフ中学時代に社会問題にめざめ,モスクワ大学在学中の1894年に逮捕された。ナロードニキの継承者を自認し,タンボフ県で農民工作を進めた。99年国外に出て,哲学,農業理論の諸論稿を発表し,認められた。後進資本主義国の進化の特殊な類型という問題をはじめて提起した点は,同時代のレーニンと比して大きい功績である。1900年古参ナロードニキとともに農業社会主義連盟をつくり,01年のエス・エル党の結成に加わって,機関紙《革命ロシア》編集者となった。やがて彼の農民社会主義論は全党のものとなり,エス・エル党綱領に定式化される。一貫して党中央委員会を代表する指導者であったが,08年アゼフ事件の責任をとり中央委員を辞職した。第1次大戦中は穏健な戦争反対の立場をとり,二月革命後帰国して,最初の連立内閣の農相となった。しかし農民の土地奪取の志向にこたええず,3ヵ月でその地位を去った。十月革命後,憲法制定会議議長となり,自党の綱領的主張をもり込んだ土地法案を採択させたが,ソビエト政府に解散させられる。現実政治家としてはレーニンの敵ではなかった。反ボリシェビキ運動には加わったが,王党派には同調せず,第三勢力路線を追求した。20年にはプラハに亡命し,〈建設的社会主義〉の立場からソ連社会主義を批判した。ナチスに追われ,逃れたアメリカ合衆国で死去。回想録とロシア革命についての著作がある。
→エス・エル党
執筆者:和田 春樹
チェルノフ
Dmitrii Konstantinovich Chernov
生没年:1839-1921
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報