サモス島(読み)サモストウ(英語表記)Sámos

デジタル大辞泉 「サモス島」の意味・読み・例文・類語

サモス‐とう〔‐タウ〕【サモス島】

SamosΣάμοςギリシャ、エーゲ海南東部、ドデカネス諸島の島。紀元前6世紀半ばには海洋都市国家が栄え、僭主ポリュクラテスの命によってヘラ神殿造営が進められた。港町ティガニは数学者ピタゴラス生地としても知られ、町の名は1955年にピタゴリオンと改名されている。1992年に「サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿」の名で世界遺産文化遺産)に登録された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サモス島」の意味・わかりやすい解説

サモス島
さもすとう
Sámos

ギリシア南東部、エーゲ海東部、ドデカネス諸島の島。南スポラデス諸島に含める場合もある。トルコ語名スサム島Susam-Adasi。小アジア半島とは狭いサモス海峡を隔てて相対する。面積476平方キロメートル、人口3万3843(2001)。地形は全体的に山がちで、島頂は西端にあるケルケテウス山(またはケルキス山、1433メートル)。気候は温暖で、良質のブドウを産し、ギリシア正教ミサに使われる甘口ワインの生産で有名。オリーブ、たばこ、絹の生産も多い。イカリア島、フルニ島などをあわせてサモス県を構成し、県の人口は4万4200(2003推計)。県都は北岸にある港湾都市バティVathi。イオニア人の植民以来通商で大いに繁栄し、繁栄の絶頂に達した紀元前6世紀には、ピタゴラスをはじめとして多くの芸術家、哲学者を生んだ。島の南部には、イオニア式の巨大なヘラ神殿の遺構が残っている。

[真下とも子]

歴史

前1100年ごろギリシア本土から移住したイオニア人に占拠され、前8世紀ごろ島全体が一つのポリス(都市国家)になり、ゲオモロイとよばれる土地所有貴族が政権を握った。前7世紀以降各地に植民市を建設し、商工業を発展させ、前6世紀後半にはポリクラテスの僭主(せんしゅ)政のもとで繁栄を極めた。彼の死後ペルシアの支配に入るが、前5世紀初めにその支配から脱してデロス同盟に加盟した。前441~前439年に同盟からの離反に失敗して民主政が導入され、前4世紀前半にアテネ市民の植民市(クレルキア)が設けられた。ヘレニズム時代には次々に大国に支配され、前133年にはローマの属州アシアに組み込まれた。また1476年にはオスマン帝国の支配領となり、正式にギリシア領となったのは1923年のローザンヌ条約においてである。

[清永昭次]

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改訂新版 世界大百科事典 「サモス島」の意味・わかりやすい解説

サモス[島]
Sámos

エーゲ海南東部,ギリシア領スポラデス諸島の一島。面積476km2,人口4万4000(2001)。トルコ領ミュカレ半島とは2km足らずの海峡で仕切られている。東西に長く(45km),西に行くほど山が深くて高い。北岸のバティとカルロバシ,南岸のピタゴリオ(最近までティガーニと呼ばれていたが,古代の哲学者ピタゴラス出身の故郷として改名された)がおもな港で,ピタゴリオが古代のサモス市にあたる。オリーブ,ブドウの栽培が盛んでサモス産ブドウ酒は有名である。内陸山間部は樹木が多く,船材を産出している。同島南岸のヘラ神殿とその広大な神域はドイツ考古学研究所によって発掘作業が進められている。サモスは前6世紀の僭主ポリュクラテスのときに強国となり,イオニア反乱にも参加して,のちデロス同盟の有力メンバーとなった。前440年アテナイから離反してペリクレスにより平定され,その後忠誠を守って前405-前404年サモス人全員にアテナイ市民権が一括付与された。その後はスパルタ,ローマ,ビザンティン帝国,オスマン帝国などの支配下にあり,1912年ギリシアに帰属した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サモス島」の意味・わかりやすい解説

サモス島
サモスとう
Nísos Sámos

ギリシア,エーゲ海東部にある島。小アジア半島に最も近い島で,トルコ西岸と幅1~2kmの狭い海峡で隔てられる。森林に覆われた山がちな島で,最高点 1433m。北東岸に中心集落サモスがある。前 11世紀頃イオニア人が植民し,イオニア 12都市の一つサモスを建設。前7世紀にはギリシアでも有数の商業中心地となり,黒海地方,エジプト,キュレネ,コリントスなどと交易,ミレトスと覇を競った。前6世紀僭主政治下で古典文化が栄え,ピタゴラスをはじめ,建築家,工芸家が輩出,アナクレオンイソップなども住んだといわれる。のちローマ,ビザンチン,ジェノバの支配を受け,1453年オスマン帝国領。 1821~29年のギリシア独立戦争では善戦したが,ギリシア領となったのは 1912年。主産業は農業で,肥沃な土壌に,ブドウを中心にオリーブ,ワタ (綿) ,タバコなどを栽培。たばこ工場,造船所がある。古代ギリシア最大のイオニア式神殿であるヘラ神殿が残り,1992年世界遺産の文化遺産に登録されている。面積 476km2。人口4万 1850 (1991推計) 。

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世界大百科事典(旧版)内のサモス島の言及

【ヘラ】より

…彼女はまたアフロディテ,アテナ両女神と美を競ったものの,トロイア王子パリスの審判で敗れたため,やがて起こったトロイア戦争で終始トロイア方に敵対したばかりか,トロイア陥落後,新しい祖国を求めて旅立ったローマ建国の祖アエネアスをも迫害しつづけたという。 彼女の崇拝地としてはペロポネソス半島のアルゴスとイオニア地方のサモス島が名高く,両所では彼女は町の守護神でもあった。またアルゴス,サモスを含むいくつかの土地では,ゼウスとヘラの結婚を記念する〈聖婚hieros gamos〉の儀式が行われ,ボイオティア地方のプラタイアイのそれは,オークの木で作られ,花嫁に付き添う乙女とともに荷車でキタイロン山に運ばれるヘラの神像の名からダイダラDaidala祭と呼ばれていた。…

【ヘライオン】より

…〈ヘラの神殿〉の意。最も著名なのはサモス島のヘラの神域の主神殿で,前8世紀のもの,前650年ころのもの,前550年ころの建築家ロイコスRhoikosのもの,前530年ころの僭主ポリュクラテスのものと,4段階のイオニア式神殿形式発展の歴史がたどれる。オリュンピアのものは現存する最古(前600年ころ)の神殿遺構(6×16柱のドリス式)で,長年にわたる木造から石造への改築により,その円柱の太さ,形式が異なる。…

※「サモス島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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