改訂新版 世界大百科事典 「テルサラサート」の意味・わかりやすい解説
テル・サラサート
Telul el-Thalathāt
イラク北部のモースルの西51kmにあって,メソポタミアにおける土器の初現期に始まる遺跡。江上波夫を団長とする東京大学イラク・イラン遺跡調査団が,日本人として西アジアで初めて発掘を行った記念すべき遺跡である。1956,57,64,65年の4次にわたって発掘を行い,さらに76年に東京大学イラン・イラク学術調査団が深井晋司団長のもとで第5次の発掘を行った。
高い三つと低い二つのテルからなり,telulはtelの複数形,Telul el-Thalathātは三つの丘の意味。Ⅰ・Ⅱ・Ⅴ号丘を発掘,最大のⅠ号丘は長径約140m,高さ約20m,最古の層まで発掘したⅡ号丘は長径約100m,高さ約8mと小さく,Ⅴ号丘はさらに小さい。Ⅱ号丘のⅩⅥ層では自然層に掘り込まれた竪穴住居,ⅩⅤ層では泥煉瓦壁づくりの小室からなる倉庫と窯跡が発掘され,両層から出土した遺物の中には,粗製土器で胴下部を竜骨状につくった鉢や壺,楕円形土器,人面などの貼付文土器,女性土偶,サイド・ブロー・ブレード・フレーク石器などが出土していて,この両層は炭素14法による測定年代で前6000年ころのウンム・ダバギヤ文化(ウンム・ダバギヤ)に属することを示している。
約2000年をへだててウバイド後期のⅩⅣ~Ⅵ層では,方形建物,土器焼成窯,パン焼窯,円形穀物倉などが発見され,Ⅴ~Ⅰ層のガウラ期では中庭の両側に小部屋を配置した神殿が認められた。Ⅴ号丘は5層が発掘され,南メソポタミアのジャムダット・ナスル期末から初期王朝期に並行するニネベ期(ニネベ5層を標式とする)に属する日乾煉瓦づくりの穀物倉が発見された。これは10室をもつ長さ17m前後の細長い建物で,一端の室には多くの貯蔵用壺がすえられ,壺の中からも外からも大量の炭化大麦が出土した。Ⅰ号丘のⅠ・Ⅱ層からは,地下遺構をもち壁の厚さ1mでアーチ天井の6室からなる建物が発掘された。墓と考えられ,前2千年紀前半にあてられている。この年代がこの遺跡の最終段階であるかどうかについては,なお発掘によって確認することを要する。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報