ウバイド文化(読み)ウバイドぶんか

改訂新版 世界大百科事典 「ウバイド文化」の意味・わかりやすい解説

ウバイド文化 (ウバイドぶんか)

メソポタミア最古の先史時代文化。炭素14法による年代は前6千年紀から前5千年紀前半。ウルの近くのエル・ウバイドal-`Ubaidにおいて,ウル第1王朝時代創建の神殿の南の先史時代集落から,初めて発見された彩文土器を標式とする。ウルの層位的発掘でウバイドI,II,IIIの変化を確認し,さらにウルクの層位と対比して,南メソポタミアにおける最初の文化であることが1931年に認められた。ウバイドIIIは次のウルク期に属する。その後さらに古い文化としてハッジ・ムハンマド出土土器,エリドゥ出土土器を標式とする文化が加えられ,エリドゥの層位を基準として,エリドゥ-ハッジ・ムハンマド-ウバイドI-ウバイドIIの連続関係が確認されたが,各期を同一文化の時期差と見て4期に分け,ウバイド1~4と表記する方法が,現在では有力である。その起源を東方,あるいは北方に求める意見があるが,むしろ1期に先行する文化を沖積地に埋もれた地下深くに求めるのが先決のようである。

 主要な食糧源は簡単な施設の灌漑によって栽培された麦類および家畜牛と野生オナジャーであったと考えられる。亜麻の栽培と紡錘車使用が認められる。南メソポタミアについて住居の資料はほとんどないが,葦でつくった家と日乾煉瓦の家の一部が知られている。道具類は打製・磨製の石器のほかに,適当な石材に乏しいことから,土製鎌,銎(きよう)(柄を挿しこむ孔)をもつ土製鍬,土製錘(すい)なども用いられた。4期には銅製の利器が登場する。土器には無文の粗製土器と彩文土器があり,壺,鉢,埦,皿のほかに把手や注口をもつ形もすでにみられる。文様大部分が幾何学文で,動物や人の形式化した表現が一部にある。石製容器,スタンプ形印章,細身の土偶も出土する。墓地が神殿を中心とする居住区の外側に営まれたようである。エリドゥでは,4期に属する約1000基からなる墓地があり,200基が調査された。日乾煉瓦で囲まれた竪穴墓に,仰臥伸展葬で,彩文土器を伴って葬られた。シュメール文明の重要な一要素である神殿は,1期末の小規模な建物から4期末には23m×12mの建物にまで発展した。

 ウバイド文化はメソポタミア南端に始まって北上し,3期には北メソポタミアでハラフ文化にとって代わる一方,ペルシア湾沿岸にも拡大し,さらにアナトリアシリア,イラン高原にまで広がった。ウバイド文化を創造した人々がシュメール人であったか否かについては,なお議論があるが,ウバイド期における神殿の継続的発展を評価して,シュメール人の文化と考えるのが妥当であろう。
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百科事典マイペディア 「ウバイド文化」の意味・わかりやすい解説

ウバイド文化【ウバイドぶんか】

メソポタミアの古代文化。イラク南部のウバイド遺跡にちなむ。ウルク文化に先行し,前4500年―前3500年頃メソポタミアに広範な統一的様式文化が初めて成立する。日干煉瓦を使った基壇を持つ神殿建築や車輪の使用,また一部では印章,銅器が登場し,都市国家形成の萌芽がみられる。
→関連項目スーサテル・サラサート

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世界大百科事典(旧版)内のウバイド文化の言及

【ハッジ・ムハンマド】より

…淡黄色の胎土に幾何学文を暗紫色の彩色で厚く広く施したもので,ハラフやアルパチヤの彩文土器との類似が注意されたが,メソポタミア南部における編年上の位置づけが確定したのは,47‐49年のエリドゥにおける発掘の結果である。ウルク期から時代をさかのぼってウバイドII期―ウバイドI期―ハッジ・ムハンマド期―エリドゥ期と呼ばれたが,現在ではこの4期をウバイド期と認識して,ハッジ・ムハンマド期をウバイド2期とするのが一般的である(ウバイド文化)。ただし古い呼称を踏襲し,ハッジ・ムハンマド文化はイラン西部のハジネーKhazineh文化と強い関連をもっているとする考え方もある。…

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