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青銅器時代 せいどうきじだい Bronze Age

翻訳|Bronze Age

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

青銅器時代
せいどうきじだい
Bronze Age

考古学における三時期法の一つ。 1818年 C.トムセンによって提唱されたもので,青銅製の利器その他の器具の製造,使用が認められる時期をいう。メソポタミアでは初期王朝時代以降,インドではインダス文明期以降,中国では殷・周時代がこれにあたる。

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デジタル大辞泉の解説

せいどうき‐じだい【青銅器時代】

考古学上の時代区分の一。武器・器具・装身具などの製作に青銅が基本的な材料として用いられた時代。前3000年から前2000年ごろメソポタミア始まり、中国では、殷(いん)の時代がこれにあたる。日本では、弥生(やよい)時代に大陸から青銅器鉄器が同時にもたらされたため、この時代は設定しない。

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百科事典マイペディアの解説

青銅器時代【せいどうきじだい】

三時代区分法による時代区分の一つ。石器時代鉄器時代の間にあり,青銅器が多く用いられた時代。オリエントでの前3000年から前1200年ころまで,中国での(いん)時代などがこれに当てられ,これらの地域では奴隷制社会都市国家の成立,輸送手段の発達と交易の拡大,大墳墓の出現などが認められる。
→関連項目アルタイ文化金石併用時代彩陶沙井遺跡鉄器時代テル・サラサートドンソン木棺モンテリウスルリスタン青銅器

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世界大百科事典 第2版の解説

せいどうきじだい【青銅器時代 Bronze Age】

銅器時代の定義は,地域によって違いはあるが,人類史のうえでは,都市と政府組織の成立,畜力を利用した車の出現,文字の発明と国際交易の定着がみられる時代であり,未開から文明への変換点がこの時代であったとみられる。青銅器時代は,もともと利器の材質に基づいた命名ではあるが,今日なお青銅器時代の意義が高く評価されるのは,先史文化を考える分類体系として認められるからである。青銅器時代の用語で示される文化はさまざまであっても,実態がどれほど違うのか比較の議論が可能なのも,青銅器時代が分類体系として存在しているからである。

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大辞林 第三版の解説

せいどうきじだい【青銅器時代】

考古学上の時代区分の一。青銅器を主要器具としていた時代で、石器時代と鉄器時代との間に位置する。西アジアでは紀元前三千年頃に始まり、中国では殷周代がこれにあたる。日本では弥生時代に鉄器と青銅器がほぼ同時に移入され、特に青銅器時代は認められない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

青銅器時代
せいどうきじだい

デンマークのトムセンが提唱した三時代法によって設定された時代で、bronzealder(デンマーク語)、bronze age(英語)の訳語。すなわち石器時代の後を受け、鉄器時代に先行した時代である。青銅器時代の本来の意味は、主要な利器――器具一般ではない――が青銅で鋳造され、かつ鉄の冶金(やきん)術がまだ知られていない時代ということである。この利器は、実用の刃物のことである。したがって、祭祀(さいし)具、副葬品(明器(めいき))、宝器、儀器などのように宗教上の目的から、また権威の象徴として青銅の利器がつくられても、それは青銅器時代を設定する指標とはならない。クレタ島のミノス文化の双頭斧(そうとうふ)double-axeは、青銅製の祭祀具として著名である。日本の弥生(やよい)時代の平形銅剣や広鋒銅鉾(ひろさきどうほこ)なども典型的な儀器であって、これらに基づいて安易にミノス文化時代や弥生時代を青銅器時代などとしてはならない。
 古代における文化の周辺地帯では、新石器時代のあとに鉄器時代が続き、青銅器時代は現出しなかった。朝鮮半島や日本列島では、鉄器時代の初期にさまざまな青銅器が使用ないし(ぼうせい)(倣製)されたが、すでに一方では鉄製の利器が実用に供されており、青銅製の利器は財宝、権威の象徴、祭祀具などに用いられた。さらに僻遠(へきえん)の地、たとえばアフリカ(エジプトを除く)では長く新石器時代文化が停滞し、青銅器の影すらみずに鉄器文化が行われたのである。
 いうまでもなく青銅は、銅90%とスズ10%を基準とする合金であるが、スズの主要鉱石である錫(すず)石の産地は限定されているうえに、この鉱石を溶錬してスズを分離、採取することには、かなりの技術を要する。一方、銅は自然銅の形で発見されるから、当初は銅が利器や装身具に用いられた。時代がくだっても、スズが産出しないか、あるいは入手困難な地域では利器などにはもっぱら銅が用いられた。とくに区別する必要のある場合には、こうした時代を銅器時代copper ageとよぶことがある。銅器時代は、先進文化圏の特定地域にだけみられた時代である。
 銅器時代、青銅器時代、鉄器時代のいずれであれ、その初頭には金属製の利器は僅少(きんしょう)で、主として石製の利器が用いられる場合もあった。こうした、いわば過渡的な時代は、ときとして金石併用時代とよばれるが、これはヨーロッパ諸語のaeneolithic age(aeneus[銅の;ラテン語]+lithic[石の;ギリシア語])またはchalkolithic(chalkos[銅の;ギリシア語]+lithos)の訳語である。日本の考古学者が銅石時代と直訳せず、金石併用時代と訳したのは賢明であった。なぜならば、銅製や青銅製の利器がなく、鉄製の利器が石器と併用される場合もあるからである。
 もっとも、時代区分に過渡期を認めない立場からすれば、銅または青銅の冶金術が知られていれば、いかに石器が多く製作・使用されてはいても、それは銅器時代または青銅器時代であって、金石併用時代の存立する余地は認められないのである。[角田文衛]

青銅器時代の始まり

青銅は銅より硬度が高く、器具をつくるのに適している。スズの量が10%以上増えると、合金は白みを帯びて白銅となり、鏡に適した材料となる。人間が地表上至る所にある鉄ではなく、銅そして銅とスズの合金である青銅の冶金術を初めに開発した理由は明らかでない。隕鉄(いんてつ)を鍛打(たんだ)した鉄製の利器は、小アジアやエジプト、メソポタミアでは紀元前四千年紀においてつくられたし、中国では殷(いん)代に隕鉄製の利器がみられたけれども、隕石の数は限られていたため、鉄製品は普及しなかった。
 自然銅を敲打(こうだ)して伸ばし、ピン、耳輪、指輪などを製作することは、メソポタミアのハラフ文化やイラン西部のシアルク第一期文化にみられた。しかし1084℃を超す温度で銅を溶解し、所期の銅器(扁平斧(へんぺいふ)、刀子(とうす)、針、ピンなど)を鋳造する技術は、メソポタミアではウルク期、イランではシアルク第三期において初めて開発され、ことばの正しい意味での銅器時代はこのころに開始された。
 メソポタミアのウル第一王朝時代の王陵からは、青銅製の利器が発見されており、この地域では前3000年ごろに青銅器時代に入ったことが知られる。この斬新(ざんしん)な技術はさまざまな経路を通じてオリエントから諸方面へ伝播(でんぱ)し、各地の人々を青銅器時代に導入したのであった。
 青銅器時代というのは、技術史的な時代区分に基づくものであるから、等しく青銅器時代とはいっても、それぞれが政治、社会、経済などに異同があることを念頭に置かねばならない。政治史的にみると、同じ青銅器時代のなかには原生国家(部族国家)、王国、大王国(民族国家)の諸段階がみられ、一様ではないのである。[角田文衛]

オリエント

オリエントでは、メソポタミアを中心に青銅器文化は、前3000~前1200年ごろに行われた。そこでは諸王国の隆昌(りゅうしょう)と争覇が続いたのちに大王国が成立した。その王は「四界の王」「諸王の王」と称したが、周辺地域よりしばしば異民族の侵入があり、その歴史は複雑化した。大王国に至って国家体制は高度の域に達し、文字の発達と相まって成文法典も発布され、さらには物品貨幣の発案によって通商も活発となった。ウル第三王朝は優れた金属工芸をもって知られ、メソポタミアに侵入したアッカド人の建てたバビロン第一王朝のもとでは、国家体制が著しく整備された。
 その周辺地帯にあっては、ミタンニ王国、ウラルトゥ王国、ヒッタイト王国(小アジア)のような強盛な民族国家が興亡した。イラン高原中部の山岳地帯の諸部族の間では独自な青銅器文化、すなわちルリスタン文化が育成されたが、それは北方の草原地帯の諸民族の工芸に強烈な影響を及ぼした。近年、キプロス島の青銅器文化が著しく繁栄した様相がますます明らかとなったが、それは豊富な銅の産出と通商上に占めるその島の位置に負っていた。
 古代のエジプト人は、すでに前3000年ころの第一王朝から銅の冶金術を採用し、第四王朝の時代から青銅を知っていた。しかし錫石や天然にスズを含んだ銅鉱石の入手が困難であったため、前2000年ごろの第12王朝まではほとんど青銅器はつくられなかった。厳密にいえば、エジプトの青銅器時代は、第12王朝ごろに始まり、前1580年ごろ始まる第18王朝に至って最後の栄光を放った。エジプトの青銅器時代は短く、第18王朝の末から鉄器時代が始まった。ただしエジプトの第12~18王朝の期間を青銅器時代とし、この時代概念をもってこの時期の歴史を理解しようとするのは、あまり意味のないことである。
 総じて銅や青銅は、その産額が限定されていたために価格も高く、上層者の武器その他の利器、装身具に使用されることが多かった。エジプト第18王朝の壁画をみても、青銅の剣を帯びているのは指揮官(貴族)だけであって、兵士たちは、弓矢と木製の槍(やり)や棍棒(こんぼう)で武装していた。兵士たちの武装や各種の農具などの材料に使用されなかったという点で、青銅の冶金術のもつ変革的役割は、鉄のそれにはるかに劣るのである。[角田文衛]

エーゲ文化

エーゲ海の島嶼(とうしょ)や沿岸地帯の青銅器文化はエーゲ文化と総称されるが、これはミノス文化、キクラデス文化、ヘラス文化、トロヤ文化の四文化圏に分かれて発展した。前三者はそれぞれ前・中・後期に大別され、各期はさらに三亜期に区分されている。ヘラス後期(後期ヘラティック)はミケナイ(ミケーネ)時代ともよばれている。トロヤ文化のうち青銅器時代に該当しているのは、第二期(前2500~前2200)から第七b期(前1260~前1100)までである。
 エーゲ文化の諸文化圏では早くから王国が形成されていたが、文化的にもっとも先進的であったクレタ島においては、ミノス後期に至ってクノッソスKnossosを首都とする大王国、すなわちミノス王国が成立したし、ギリシア本土でも、ヘラス後期においてミケナイ王国を盟主とするアカイア人の連邦が形成され、遠くトロヤに侵攻し(トロヤ第七a層)、このトロヤ戦争によって後世に名を残した。ミノス王国の栄光はクノッソス宮殿の遺構からうかがえるが、この宮殿を中心に建築、絵画、金属工芸、陶芸は注目すべき発展を遂げた。ただし青銅容器の出土量は比較的に少なく、その欠を補うためにも陶芸は発達したのである。なかでも流麗な彩文を施した卵殻(らんかく)式陶器は、陶芸の粋ともいうべき作品であった。[角田文衛]

ヨーロッパ

ヨーロッパの青銅器諸文化は、主としてエーゲ海方面から波及した先進文化によって触発されたものである。ただし、ザカフカスのそれはイラン西部、カフカスのそれはルリスタン方面からの文化伝播によるものである。ヨーロッパの青銅器文化は、中部、北部、東部、西部、南部(イタリア)の五大文化圏に大別されるが、北部、南部を別とすれば、その様相はかなり錯綜(さくそう)している。西部、中部、南部では、青銅器時代は前1800年ごろに開始し、前700年ごろまで続いた。北部では、青銅器時代の開幕が遅れ、終末もまた長引いたことはいうまでもない。
 ヨーロッパの青銅器文化は後進的な性格が強く、政治史的には大王国の成立をみるには至らなかった。もっとも階級的分化の進行につれて部族の首長の権力が強化されて原生国家が形成され、原生国家は小王国に変貌(へんぼう)する過程は認められるが、強力な王国ないし大王国の成立をみずに終わった。注目されるのは、銅やスズの入手に端を発した交易路の網が生まれたことである。なかでも北ヨーロッパと地中海方面とを結び、文化の伝播に大きな役割を果たした「琥珀(こはく)の道」amber routesは、歴史的に重要である。この間にゲルマン、ケルト、スラブといった諸民族が民族的形成を遂げ、それにつれて諸部族の移動も活発になったことが注意される。
 中部ヨーロッパでは、火葬を特色とする火葬墓文化が著名であって、それはイタリアにも強く影響した。北ヨーロッパでは、ゲルマン人の所産に帰される独自な青銅器文化が盛行した。これについては、スウェーデンの考古学者モンテリウスO. Monteliusが提唱した六期の区分がいまなお用いられているが、各種の青銅工芸の発達には驚くべきものがあった。[角田文衛]

北方ユーラシア・インド・中国

北方ユーラシアの大草原地帯では、各地にそれぞれ独自な青銅器文化が育成された。しかしその成立には、イランやカフカス方面からの文化的な刺激があずかっていた。これらの青銅器諸文化の特色は、生業が牧主農副であり、政治的には部族国家の段階にあったことである。それらは、遊牧文化が成立する前夜の文化であった。ウラル南部から南シベリアにわたって盛行したアンドロノボ文化や南ロシアの木槨墳(もくかくふん)文化などは、わけても注目される青銅器文化である。
 パキスタンやインド西部のインダス文明は、都邑(とゆう)文化の範疇(はんちゅう)に入る高度の文化であるが(前2350~前1700ころ)、青銅製品はあっても、利器はみられず、銅器文化と目される。しかしその銅製品も、出土量はきわめて僅少である。
 中国における青銅器時代に該当するのは殷(いん)・周時代である。この高度の文化は、末期に至って東方へ波及し、朝鮮半島や日本にも影響した。しかしそのころから秦(しん)、漢の鉄器文化が殺到したために、朝鮮や日本の住民は、青銅の技術は伝えられはしても、青銅器文化を展開することなく、ただちに鉄器時代に入った。
 インドシナでは、周王朝末の文化の伝播によって独特なドンソン文化が盛行し、異彩を放った。インドシナの銅器時代には、青銅器も少々つくられはしたけれども、錫(すず)が入手困難なために、真の青銅器文化は現出しなかった。[角田文衛]

アメリカ大陸

他方、アメリカ大陸をみると、コロンブス以前のその遠古史は、旧大陸の場合と違って三時代法によって体系づけられてはいない。いまあえてこの時代区分法によって考察してみると、銅の冶金術は、アンデス地帯(コロンビア、エクアドル、ペルー)では形成期の中期(前1000ころ~前300ころ)において開発され、青銅の冶金術はペルーにおいてのみ後古典期(1000ころ~1500ころ)に発明され、普及した。南米では金も銀も早くから用いられていたが、コロンビア南部、エクアドルにおいてはプラチナの使用が早くからみられた。ヨーロッパでは1730年ごろまでプラチナの使用が知られなかった点にかんがみると、それは画期的な発見であった。アンデス地帯では、銅ないし青銅を材料として、つるはし、刀子、錐(きり)、環頭斧、鍬(くわ)の刃、金梃(かなてこ)や多量の装身具がつくられた。有名なインカ帝国の時代は、技術史的には青銅器時代であった。コロンブス以前のアメリカの原住民たちは、ついに鉄器時代を現出させることはなかった。
 中米における銅の冶金術の採用は甚だ遅く、後古典期に入ってからのことであった。したがってマヤ文化などは、その高度の文化水準にもかかわらず、技術史的には新石器時代の文化であったのである。北アメリカの原住民は、自然銅を敲打してつくった銅製の斧(おの)、刀子、鑿(のみ)、各種の装身具を使用したが、それらは一種の石製品であって、冶金術による製品ではないので厳密な意味での銅器ではなかった。つまり銅の冶金術を知らずに終わったという点で、北アメリカには銅器時代は存しなかったわけである。[角田文衛]

青銅器時代の終息

旧大陸では、鉄の冶金術は、前14世紀ごろオリエントで普及し、イラン西部のミタンニ人によって各方面に伝えられ、政治、軍事、経済のうえに大きな変革を誘発した。エーゲ海方面では前1200年ごろに青銅器時代は終息した。周辺地帯、たとえばオーストリアでは前750年ごろまで、北ヨーロッパでは前500年ごろまで青銅器時代は続いた。中国では前3世紀まで青銅器時代は続いたが、それは尊彝(そんい)を中心とする多種多様の青銅製の儀器を遺(のこ)した点で、きわめて特異な青銅器文化であった。[角田文衛]
『角田文衛他著『世界考古学大系12』(1961・平凡社) ▽江上波夫監修『先史時代のヨーロッパ』(1984・福武書店) ▽J. M. Coles and A. F. Harding The Bronze Age in Europe (1979, London, Methuen)』

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世界大百科事典内の青銅器時代の言及

【新石器時代】より

… ヨーロッパ,アフリカ北部,西アジアにおける調査研究の進展は,洪積世から沖積世への転換(約1万年前),打製石器のみから磨製石器出現への転換,そして狩猟,漁労,採集から家畜飼育,農耕への転換が,そろって同時に起こったものではないことを明らかにした。また,精巧な作りの打製石器が新石器時代を特色づけるだけでなく,ナイフ,鏃,鎌として,青銅器時代に入っても重用されていたことも判明した。こうして上記3種の転換のうち,地質学的・石器製作技術史的区分ではなく,経済史的区分をもって新石器時代を定義づけることが,イギリスのV.G.チャイルドによって提唱された(1936)。…

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