昭和・平成期の考古学者 古代オリエント博物館館長;東京大学名誉教授。
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考古学者、東洋史学者。山口県生まれ。1930年(昭和5)東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業し、東亜考古学会留学生として北京(ペキン)へ派遣され、1931年東方文化学院研究員、1935年内蒙古(うちもうこ)(内モンゴル)を横断踏査し遊牧民系騎馬集団の生活と文化の理解を深めた。1937年『蒙古高原横断記』を発表、1948年東京大学東洋文化研究所教授、1956年東京大学イラン・イラク遺跡調査団長を務め、1958年共著『日本民族の起源』、1964年『日本における民族の形成と国家の起源』、1967年『騎馬民族国家』を発表し、騎馬民族日本征服説を唱えた。1962年東京大学東洋文化研究所長、1967年同名誉教授、のちに札幌大学教授、上智大学教授、日本考古学協会委員長、東アジアの古代を考える会会長、古代オリエント博物館長、日本オリエント学会会長などを歴任。1983年文化功労者、1991年(平成3)文化勲章を受章。著書に『日本古代文化の成立』『江上波夫著作集』、詩集『幻人詩抄』など。
[編集部]
『『江上波夫著作集』全12巻・別巻(1984~86・平凡社)』
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…かつて津田左右吉が,《古事記》《日本書紀》には,仲哀天皇と応神天皇の間で一つの段落があり,仲哀以前は天皇の系譜が父子相承となっていたり,天皇の称号だけで諱(いみな)を欠いているなど,実在性に乏しく,6世紀の帝紀(ていき)に記されていたのは,応神より後の天皇であろうとしたことにはじまる。その後,林屋友次郎によって,〈応神新王朝論〉が説かれ,応神以前の天皇は存在しないとされ,水野祐は,仲哀以前を〈古王朝〉,応神以後を〈中王朝〉とし,邪馬台国と戦った狗奴国が東遷して,この〈中王朝〉を形成したと考え,いわば江上波夫が,大和の王朝を騎馬民族の征服によって生まれたとした騎馬民族説をさらに進め,〈ネオ騎馬民族説〉とでもいうべきものを主張した。他方で,〈古王朝〉は大和三輪にあり,〈中王朝〉は河内に成立し,河内王朝が三輪王朝を征服したという説もあらわれた。…
…1929年,ヘディン西北科学考査団の黄文弼(こうぶんひつ)によって元碑のあることが発見された。その後,江上波夫はここに十字架のある景教徒の墓石を発見し,35‐41年に3度の調査を行った。長方形の外城(南北約570m,東西約960m)とほぼ方形の内城(南北約280m,東西約290m)からなり,内城の東区内中央に宮殿址がある。…
…この対外活動は遊牧騎馬民族間のものもあったが,また南方の農耕地帯にも多く行われ,この地帯に対する略奪および征服活動は,その後ながい間にわたって世界の歴史を激動させ,展開させることに重要な役割を果たした。 ところで江上波夫は,以上の遊牧騎馬民族のほかに,北東アジアの農主牧副民系または半農半猟民系の騎馬民族として,夫余,高句麗,靺鞨(まつかつ),渤海(ぼつかい),女真,満州などをあげている。そして夫余や高句麗と関係ある北東アジア系の騎馬民族が,まず南朝鮮を支配し,やがてそれが弁韓(任那)を基地として北九州に侵入し,さらには畿内に進出して大和朝廷を樹立し,日本における最初の統一国家を実現した。…
…イラク北部のモースルの西51kmにあって,メソポタミアにおける土器の初現期に始まる遺跡。江上波夫を団長とする東京大学イラク・イラン遺跡調査団が,日本人として西アジアで初めて発掘を行った記念すべき遺跡である。1956,57,64,65年の4次にわたって発掘を行い,さらに76年に東京大学イラン・イラク学術調査団が深井晋司団長のもとで第5次の発掘を行った。…
※「江上波夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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