ディミトロフ(読み)でぃみとろふ(英語表記)Georgi Dimitrov

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディミトロフ」の意味・わかりやすい解説

ディミトロフ
でぃみとろふ
Georgi Dimitrov
(1882―1949)

ブルガリア共産党指導者、コミンテルン書記長、第二次世界大戦後首相。12歳で植字工徒弟となり、1901年印刷労組の書記に選出される。翌年ブルガリア労働者社会民主党に入党し、同党が分裂すると、のちに共産党に改組される同党左派(狭義派)に加わり、09年、中央委員会委員となる。18年には時の政府の戦争政策に反対して投獄されたが、第一次大戦後も交通ストを指導するなど積極的に革命運動に参加した。21年にコミンテルン第3回大会に出席し、23年には共産党の右翼軍部のツァンコフ政権に対する「9月蜂起(ほうき)」の指導に参加したが、蜂起が失敗に終わり国外に亡命欠席裁判死刑判決を受けた。亡命中はブルガリア共産党中央委員会国外事務局の委員となって活動を続けた。33年、ナチスの仕組んだドイツの「国会議事堂放火事件」に連座して逮捕されたが、裁判で冤罪(えんざい)を晴らし、逆にナチスを攻撃した。翌34年に無罪釈放されるとソ連へ行き、ここでソ連の市民権を得た。

 ディミトロフは、1935年以来43年までコミンテルン書記長として反ファシズム運動の組織化に努めた。とくに、35年のコミンテルン第7回大会における彼の報告は、人民戦線政策確定のうえで大きな役割を果たした。第二次大戦中は、ソ連にあってブルガリアの反ファシズム運動の組織化を進め、「祖国戦線」が権力を掌握すると45年ブルガリアに戻り、翌年首相となって反対派を一掃し、社会主義化を推し進めた。49年7月2日、療養先のモスクワ近郊で客死した。

[寺島憲治]

『ディミトロフ選集編集委員会編・訳『ゲオルギイ・ディミトロフ選集』全3巻(1972・大月書店)』『ディミトロフ著、坂井信義・村田陽一訳『反ファシズム統一戦線』(大月書店・国民文庫)』『ステラ・ブラゴエワ著、草野悟一訳『ゲオルギ・ディミトロフ』(1970・恒文社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディミトロフ」の意味・わかりやすい解説

ディミトロフ
Dimitrov, Georgii Mikhailovich

[生]1882.6.18. ラドミル近郊コバチェフツィ
[没]1949.7.2. モスクワ近郊バルビカ
ブルガリアの政治家。印刷工出身。 1902年社会民主労働党に参加,21年コミンテルン執行委員となり,ウィーンベルリンで活動。ベルリンでは 33年国会議事堂放火事件で逮捕されたが,ライプチヒ法廷で事件がナチスの陰謀であることを暴露した。釈放されてモスクワへ行き,ソ連の市民権を獲得。 35年コミンテルン書記長となり,同年の第7回大会では人民戦線戦術を提案。第2次世界大戦中には反ファシズム運動を指導し,45年ブルガリアに帰国,党書記長に正式に就任した。 46年からは首相をも兼任,人民民主主義体制の樹立を指導,チトーとともにバルカン連邦構想を計画したが,49年病没。

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