ブルガリア共産党(読み)ブルガリアきょうさんとう(英語表記)Bulgarska Komunisticheska Partiya:BKP

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルガリア共産党」の意味・わかりやすい解説

ブルガリア共産党
ブルガリアきょうさんとう
Bulgarska Komunisticheska Partiya:BKP

ブルガリア政党。 1919年,ブラゴエフの指導のもとに労働者階級の党を目指して結成された。 23年,反ファシスト蜂起に失敗,A.ツァンコフ極右政権の弾圧にあい,25年非合法化された。 27年「労働者党」と改称。非合法下の闘争では,党内左派の指導のもとで極左テロが展開されたが,35年コミンテルン第7回大会の戦術転換に伴い党内に人民戦線派が台頭,左派は没落した。 42年,指導者 G.ディミトロフは,反ファショ諸勢力を結集して「祖国戦線」を結成,44年には進駐してきたソ連軍を背景に祖国戦線の内閣が成立した。 46年,第1回総選挙に勝利を収め,ディミトロフを首班とする連立内閣組閣に成功,翌 47年には新憲法を発布するとともに内外のブルジョア諸勢力との闘争を強化してこれにうちかち,48年には産業の国有化を行なって労働者国家への道を開いた。また同年8月には社会民主党を吸収し,党名を「労働者党」から再び「共産党」へ改めた。 49年のディミトロフの死後は V.チェルベンコフが指導者となり,強力な親ソ路線のもとで党内粛清を行なったが,53年のスターリンの死,56年のスターリン批判契機に,チェルベンコフは失脚,党は T.ジフコフの指導下に入った。 89年 10月にソフィアで開催された街頭集会に触発されて民主化要求運動が高揚。同年 11月には 35年間にわたるジフコフ体制が崩壊した。 90年2月に臨時党大会を開催して一党独裁体制を放棄,大統領制度も導入され,同年4月にブルガリア社会党と党名を変更した。

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