デキウス(その他表記)Gaius Messius Quintus Trajanus Decius

デジタル大辞泉 「デキウス」の意味・読み・例文・類語

デキウス(Gaius Messius Quintus Trajanus Decius)

[201ころ~251]ローマ皇帝在位249~251。パンノニア出身。帝国の統治強化のためローマの伝統的な神々の祭儀復興を図り、キリスト教徒迫害

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「デキウス」の意味・読み・例文・類語

デキウス

  1. ( Gaius Messius Quintus Trajanus Decius ガイウス=メッシウス=キントゥス=トラヤヌス━ ) ローマ皇帝(在位二四九‐二五一)。パンノニアの出身。帝国統一のため、ローマの国家祭儀の復興に努め、キリスト教徒を迫害した。(二〇一‐二五一

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「デキウス」の意味・わかりやすい解説

デキウス
Gaius Messius Quintus Trajanus Decius
生没年:?-251

ローマ皇帝。在位249-251年。パンノニア出身。ドナウ方面の軍隊により推戴され,フィリップス・アラブスをウェロナ付近で破って帝位につく。250年カルピ族がダキアに,ゴート族モエシア侵入し,これらと戦ったが,翌年帰路上のゴート族を襲おうとして敗死。彼はローマの古い伝統に忠実で,元老院にも好意的であった。キリスト教徒を迫害し多くの背教者と殉教者を出したが,彼の急死により迫害は中断した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デキウス」の意味・わかりやすい解説

デキウス
Decius, Gaius Messius Quintus Trajanus

[生]201頃.パンノニア,ブダリア
[没]251. ドブルジア
ローマ皇帝 (在位 249~251) 。その出身は明らかでないがおそらく元老院議員身分の出。 245年からドナウ方面軍を指揮したが,248/9年意に反して軍部から推戴され,フィリップス・アラブス帝を倒して即位。 250年布告を発して全市民にローマの神々への祭儀を命じ,これを拒否するキリスト教徒を迫害した。このため教会は多くの殉教者と背教者を出したが,その勢力は衰えず,迫害は失敗した。この間デキウスはドナウ川を越えてモエシアやトラキアに侵入するゴート人と戦い続けたが,ドブルジアの戦いで息子とともに戦死した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デキウス」の意味・わかりやすい解説

デキウス
できうす
Gaius Messius Quintus Decius
(?―251)

ローマ皇帝(在位249~251)。パンノニア出身の軍人皇帝フィリップス・アラブス帝(在位244~249)の命令でドナウ軍を指揮していたが、兵士に推戴(すいたい)され、先帝が殺されてデキウスが皇帝となった。彼は、ローマ伝統の神々の祭儀復興による帝国再建を目ざし、全帝国民に祭儀を命じて、これに従わないキリスト教徒を厳しく迫害し、多くの殉教者、背教者を生んだ。ゴート人の侵入を防ごうとして部下の反乱にあい、敗死した。

[松本宣郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のデキウスの言及

【フィリップス・アラブス】より

…247年にはカルピ族に大勝し,翌年ローマ建国千年祭を催すが,ゴート族がモエシアに侵入したり,各地で反乱が起きたりした。ドナウ方面の軍隊の支持を得たデキウスとベローナ付近で戦い,敗死した。【市川 雅俊】。…

※「デキウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android