デュバリエ(読み)でゅばりえ(英語表記)François Duvalier

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュバリエ」の意味・わかりやすい解説

デュバリエ
でゅばりえ
François Duvalier
(1907―1971)

ハイチ独裁政治家。看護兵を経て、アメリカで医学を学ぶ。保健大臣などを務めたあと、1957年に大統領当選、1964年終身大統領を宣言した。医師をしていたことから「パパ・ドック」とよばれたが、「トントン・マクート」(鬼人)という秘密警察を使い政敵を暗殺し大衆運動を弾圧するなど恐怖政治を行った。3万人以上の殺害に責任があるといわれる。1971年、死の直前に息子のジャンクロードJean-Claude Duvalier(1951― )を後継者に指名。後継大統領となったジャン・クロード(ベビー・ドック)は、父同様の恐怖政治を行い、1983年にはやはり終身大統領を宣言、腐敗した生活を送った。1986年2月、食糧暴動に端を発した国民暴動が全国に広がるなかで、ジャン・クロード一家は米軍機で国外に脱出し一族の独裁体制は崩壊した。

[後藤政子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デュバリエ」の意味・わかりやすい解説

デュバリエ
Duvalier, Jean-Claude

[生]1951.7.3. ポルトープランス
[没]2014.10.4. ポルトープランス
ハイチの支配者。大統領(在任 1971~86)。1971年,父フランソア・デュバリエ大統領の死をうけて終身大統領職を引き継ぎ,19歳で世界最年少の大統領に就任。前政権の腐敗した独裁的手法を改めるようにとのアメリカ合衆国からの圧力もあり,「漸進的民主化」策を打ち出したが,独裁体制はまったく変わらなかった。ハイチは外国の援助を受けながらも,国際的にはなかば孤立した状態が続いた。1986年,独裁への抗議と社会不安が高まったため妻とともにフランスへ亡命,ハイチは軍事委員会の統治下に置かれた。2010年に帰国。その 2日後に汚職や公金横領の容疑で拘束されたが,まもなく釈放された。その後,大統領在任中に犯したとされる人権侵害で訴追された。

デュバリエ
Duvalier, François

[生]1907.4.14. ポルトープランス
[没]1971.4.21. ポルトープランス
ハイチの政治家。 1934年ハイチ医科大学卒業。 48年労働次官,49年保健相,57年大統領に選出された。一般の黒人大衆の支持のもとに,混血支配層に対する黒人の復権政綱とし,私設民兵トントン・マクートを率いて文民軍人を問わず政敵を排除,多数を殺害,63年アメリカの援助停止を受けた。 64年憲法を改訂して,終身大統領となり,死ぬ直前に再び憲法を改正し,19歳の息子のジャン=クロードを後継者に指名した。

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