スイスの劇作家、小説家。ベルン郊外の牧師の子に生まれる。マックス・フリッシュと並んで第二次世界大戦後のスイス文学を代表する作家。もともと画家志望で自作に挿絵も描く。その創作態度は、『演劇の諸問題』(1955)で問題提起したように、現代の世界は異様になっているとみる視点と結び付いている。古典悲劇の完結の形式では現代はもはやとらえられないとし、従来のさまざまな演劇素材や様式を縦横に混交し、豊かな演劇ファンタジーに着想、パロディー、寄席(よせ)演芸的やま場づくりや、身ぶり狂言的、道化的、操り人形的といった、意表をつく技法を駆使して実験を試み、解答は観客の判断にゆだねる開放形式の喜劇づくりにより演劇を刷新した。その点で彼はブレヒトと相通ずるものをもつが、文学と政治を明確に区分し、この世を化け物じみたグロテスクな様相を呈する不条理の世界と洞察することに限定し、その市民と時代への批判がキリスト教に基礎を置く良心からのモラリズムである点で、ブレヒトと異なる。代表作に『ミシシッピー氏の結婚』(1952)、『貴婦人故郷に帰る』(1956)、『物理学者たち』(1962)があり、世界各地で上演された。このほか推理小説にも才を示し、『嫌疑』(1953)、『約束』(1958)、『白昼の事件』(1958)などがある。
[棗田光行]
『加藤衛訳『ミシシッピー氏の結婚』(1954・白水社)』▽『岩淵達治訳『貴婦人故郷に帰る』(1974・筑摩書房)』▽『前田道介訳『嫌疑』(1960・早川書房)』
スイスの劇作家,小説家。M.フリッシュとともに第2次大戦後のスイスを代表し,ドイツ語圏全体でもブレヒトに次ぐ上演記録を誇る。アリストファネス,ネストロイ,シュテルンハイム,ウェーデキントの流れをくみ,ブレヒトの標榜する世界変革の可能性に疑念をいだく彼は,今日の複雑化した社会機構のもとでは,個人の罪過を前提とした悲劇は不可能であると考え,もっぱら奇抜な着想やグロテスクなパロディを盛りこんだ喜劇仕立ての寓意劇を書いて,現代社会の欠陥をあばいてみせる。
ベルン州コノルフィンゲンで新教牧師の子として生まれ,チューリヒやベルンの大学で文学,哲学,自然科学を学び,一時,犯罪小説や劇評を書いていたが,やがて,《ロムルス大帝》(1949),大胆な作劇法を駆使して理念に翻弄される人間を揶揄(やゆ)した《ミシシッピ氏の結婚》(1952),メルヘン風に天の恩寵の行方をさぐる《天使バビロンに来る》(1954)などの傑出した喜劇を,つぎつぎと発表して世の注目を浴びた。金の力で籠絡され町全体が殺人に荷担する悲喜劇《貴婦人故郷に帰る》(1956)と,自分の学術上の業績が人類の滅亡を招くのをおそれて狂人をよそおう科学者の喜劇《物理学者たち》(1961)の2作によって国際的な劇作家となった。《流星》(1966)や《ある遊星のポートレート》(1970)などにも,彼の偶然とバロック的な世界劇場のモティーフがよく投影されている。その他,シェークスピアやストリンドベリの戯曲の改作ものをはじめ,放送劇,小説,旅行記などもある。
執筆者:小島 康男
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… 現代では,伝統的な悲劇と喜劇という区別そのものが明確な形では存在しえなくなったといってよい。スイスの劇作家F.デュレンマットは自作《貴婦人故郷に帰る》を〈喜劇的悲劇〉と呼んでいるが,さまざまな現代のグロテスクな寓意劇(E.イヨネスコ,S.ベケット,M.フリッシュ,J.アヌイ,H.ピンターなど。〈前衛劇〉の項を参照)では,悲劇性も喜劇性もひとしく捨象されている,ということもできる。…
※「デュレンマット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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