日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥレーヌ」の意味・わかりやすい解説
トゥレーヌ(Alain Touraine)
とぅれーぬ
Alain Touraine
(1925―2023)
フランスの社会学者。エコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)で歴史学を専攻して大学教授資格を取得したのち社会学に転じた。チリ大学、アメリカのコロンビア大学の客員教授などを経て、1960年からパリの高等学術研究院教授。その後1960年代の学生反乱の時期には、パリ大学ナンテール分校(現、パリ第十大学)の教授も務める。高等学術研究院が機構改革されてできた社会科学高等研究院社会学部門の研究指導教授を引退してからは、いわゆる「賢人」sageの一人として自由な立場で著作活動その他に活躍した。
労働社会学から出発し、1955年には『ルノー工場における労働者の労働の進化』を著して、手作業から機械化を経て完全なオートメーションに至る技術の進歩が、しだいに労働者の能動性を高めていく過程を論じた。この傾向の仕事は、1966年の『労働者意識』で頂点に達する。理論書としては『行為の社会学』(1965)をまとめ、労働を基礎にした行為の創造性を強調する立場から、社会体系の構造を所与のものとして扱いがちなパーソンズ的構造・機能主義を批判し、独自の行為主義的社会理論を展開した。1968年に学生反乱が勃興(ぼっこう)するに及び、いち早くこれに取り組み、『現代の社会闘争:五月革命の社会学的展望』(1968)、『脱工業化の社会』(1969)などを著した。現代社会のテクノクラティック(技術一元支配的)な性格を強調する彼の理論は、ここからプログラム化の進展による社会の自己産出を主張した『社会の生産』(1973)にまで進展する。
さらにその後、こうした社会に対抗する社会運動の研究を『声とまなざし』(1978)、『反原子力運動の社会学』(1980)、『現代国家と地域闘争』(1981)などの形で矢つぎばやに刊行し、「社会運動の社会学」の一時代を築いた。1990年代以降も、『近代性の批判』(1992)、『民主主義とは何か?』(1994)、『われわれは共生できるか?』『リベラリズムからの脱出法』(1999)など、根本的な問題について論じ続けた。
[庄司興吉]
『寿里茂・西川潤訳『脱工業化の社会』(1969・河出書房新社)』▽『寿里茂・西川潤訳『現代の社会闘争:五月革命の社会学的展望』(1970・日本評論新社)』▽『A・トゥレーヌ著、平田清明・清水耕一訳『ポスト社会主義』(1982・新泉社)』▽『梶田孝道訳『声とまなざし:社会運動の社会学』(1984/新装版・2011・新泉社)』▽『A・トゥレーヌ他著、伊藤るり訳『反原子力運動の社会学』(1984・新泉社)』▽『A・トゥレーヌ他著、宮島喬訳『現代国家と地域闘争』(1984・新泉社)』
トゥレーヌ(フランス)
とぅれーぬ
Touraine
フランス中西部の歴史的地方名、旧州名。主として現在のアンドル・エ・ロアール県の範囲に相当し、アンドル、ビエンヌ、ロアール・エ・シェル三県の一部を含む。「フランスの庭」と称される風光明媚(めいび)の地で、丘陵や多数の河谷が織りなす緩やかな起伏がある。ほぼ東西に横切るロアール川と、その支流のシェル川、アンドル川、ビエンヌ川、クルーズ川が、この地方をいくつかの特色ある地域に分断している。ローマ時代にはガリアの一部族トゥロネスTurones人が居住し、これが名称の由来である。野菜、果実、花卉(かき)などの農業が主産業。商工業は川の流域に発達し、中心都市トゥール周辺部に集積する。10世紀には、ブロア、アンジュー両伯の係争地となり、フィリップ2世(在位1180~1223)治世下にフランス王領に併合された。美しい風光がフランス諸王の関心をひき、16世紀には彼らの別荘が多く建てられた。それらの華麗な城が多く残り、アンボアーズ城、ランジェ城、ユッセ城、ロシュ城、アゼ・ル・リドー城、シュノンソー城などがその代表的なものである。温暖な気候と相まって、フランス有数の観光地帯となっている。
[高橋伸夫]