ときがわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ときがわ」の意味・わかりやすい解説

ときがわ(町)
ときがわ

埼玉県中部、比企郡(ひきぐん)にある町。2006年(平成18)、比企郡都幾川村(ときがわむら)、玉川村(たまがわむら)が合併して町制を施行、ときがわ町となった。町域は外秩父(そとちちぶ)山地から比企丘陵(ひききゅうりょう)にかけての山地、丘陵地に展開し、大野(おおの)地区を源とする都幾川が町のほぼ中央部を西から東へ貫流する。東部をJR八高線が縦断し、明覚(みょうかく)駅がある。優良な森林資源に恵まれ、林業、木材業、建具製造業、木工業が伝統地場産業。農業ではシイタケナメコなどのキノコ栽培や野菜栽培が盛ん。都幾山の東側中腹に関東では指折り古刹、慈光寺(じこうじ)がある。国宝に指定される紙本法華経一品経(しほんほけきょういっぽんきょう)などの写経33巻をはじめ、開山塔、銅鐘、紙本墨書大般若経(しほんぼくしょだいはんにゃきょう)、金銅密教法具14口(いずれも国指定重要文化財)など、多くの文化財を伝える。また、同寺の観音堂は坂東三十三観音霊場の第9番札所。萩日吉神社(はぎひよしじんじゃ)の例大祭に奉納される流鏑馬(やぶさめ)神事は、県選択無形民俗文化財。1962年(昭和37)町の西部堂平山(どうだいらやま)(標高876メートル)の頂上に、東京大学東京天文台(のち国立天文台)堂平観測所が建設され、日本における天体観測の拠点の一つとなった。しかし、高度経済成長にともない観測環境の悪化が進み、観測施設は2000年(平成12)に閉所した。国内有数の口径を誇った91センチメートル反射望遠鏡は2002年に旧都幾川村に譲与。現在はキャンプ・宿泊も可能な施設に整備され、「堂平天文台、星と緑の創造センター」の名称で一般に開放。都幾川には三波渓谷などの景勝地があり、支流の雀(すずめ)川の川岸にはホタルの里公園が整備されている。面積55.90平方キロメートル、人口1万0540(2020)。

[編集部]


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改訂新版 世界大百科事典 「ときがわ」の意味・わかりやすい解説

ときがわ[町]

埼玉県中央部,比企郡の町。2006年2月玉川(たまがわ)村と都幾川(ときがわ)村が合体して成立した。人口1万2418(2010)。

ときがわ町北東部の村。比企郡所属。人口5494(2005)。秩父山地東麓と比企南丘陵西部を占め,荒川の支流都幾川沿いには河岸段丘が形成されている。江戸時代は天領と旗本領で,中心集落の玉川には元禄年間(1688-1704)まで幕府代官の陣屋が置かれていた。畑作農村でシイタケ栽培も行われる。東部の丘陵を切り開いて工場用地がつくられ,中小の工場が進出している。

ときがわ町中西部の旧村。比企郡所属。人口7777(2005)。秩父山地東縁に位置し,荒川の支流都幾川の上流域を占める。村域の大半が山林で,林業が盛ん。建具製造業も盛んで,江戸時代から現在まで有力な地場産業となっており,全国に出荷されている。山間の段々畑では茶がつくられ,弓立山の南西斜面ではミカンが栽培されている。天台宗の古刹(こさつ)慈光寺には国宝の《法華経一品経》のほか,重要文化財の開山塔など文化財が多い。堂平(どうだいら)山(876m)山頂には国立天文台堂平山観測所(現在はときがわ町が運営)がある。JR八高線が通じる。
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百科事典マイペディア 「ときがわ」の意味・わかりやすい解説

ときがわ[町]【ときがわ】

埼玉県中央部に位置する比企郡の町。町中央部を都幾川が東流する。2006年2月,比企郡都幾川村,玉川村が合併し町制。JR八高線が通じる。55.90km2。1万2418人(2010)。

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