トラピスト修道会(読み)とらぴすとしゅうどうかい(英語表記)Ordo Cisterciensium Reformatorum ラテン語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トラピスト修道会」の意味・わかりやすい解説

トラピスト修道会
とらぴすとしゅうどうかい
Ordo Cisterciensium Reformatorum ラテン語

カトリック教会の修道会の一会派。改革シトー修道会または厳修シトー修道会が正式の名。カトリック教会内の観想修道会。17世紀にフランスのノルマンディーのラ・トラップLa Trappeに創立されたので、その地名からトラピスト会と通称された。11世紀終わりにベネディクト修道会から分かれたシトー修道会は、厳格な修道生活を営んできたが、14世紀中ごろには修道規則が緩み、もとの精神が失われてきた。17世紀ド・ランセ修道院長がこれをより禁欲的、観想的な方向に改革した。その生活様式は、厳重に沈黙や禁域制を守り、全修道士が農業や牧畜の労働に従事し、肉類魚類を食べず、独房を排して共住生活を営む。修道士たちは観想と贖罪(しょくざい)の生活を送り、祈りと労働を通じて神と一致し、完徳に達し、全人類の救いのために身を捧(ささ)げる。早朝に起きて、荘厳に聖務日課を歌い、ミサ聖祭を捧げる。日中は労働と聖書黙想神学の研究に従事し、たびたび教会に集まって、いっしょに聖務日課を唱える。ローマに本部があり、総会長が修道会全体を指導するが、大修道院は独立しており、その下にいくつかの分院をもっている。日本には1896年(明治29)に伝えられ、男子は北海道北斗(ほくと)市に大修道院があり、女子函館(はこだて)市、栃木県那須(なす)町、兵庫県西宮市、佐賀県唐津(からつ)市に修道院がある。

[門脇佳吉]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トラピスト修道会」の意味・わかりやすい解説

トラピスト修道会
トラピストしゅうどうかい
Ordo Cisterciensium Reformatorum seu Strictioris Observantiae; OCR; OCSO

改革シトー会 (厳律シトー会) の通称。フランスのラ・トラップ修道院に由来する。 1662年ド・ランセがこの修道院を改革,シトー会の生活様式に厳格さを加えた。厳重な沈黙,完全な共同生活,菜食 (のちに乳類を取入れる) を特色とする。 18世紀にド・ランセの改革は2つの修道院で採用されたにすぎなかったが,1792年フランス革命でこの改革シトー会はラ・トラップを追われ,スイス,ロシア,ドイツと彷徨する間に普及,拡大し続け,1960年には全世界に約 70の大修道院をもった。トラピストの諸修道院は 1892年の総会でシトー会から独立,94年教皇レオ 13世の認可を得た。会士は白の修道会服に黒のスカプラリオ (首から前後に垂らす長い布) を着用。 1689年ド・ランセのレ・クレレ修道院の改革に由来する女子トラピスチン会もある。 1896年来日,プイエを院長として当別 (北海道) に灯台の聖母修道院を創立。教授となった三木露風の詩で全国にその名を知られた。女子修道院は 98年函館の湯川に創建され,ほかに西宮,福岡,那須にも修道院がある。

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