アメリカの小説家。著名な弁護士の子として1月14日シカゴに生まれる。幼年期には当時まだ内縁関係の両親と欧米各地を旅行する機会が多かった。ハーバード大学で審美主義と前衛芸術に心酔したのち、野戦衛生隊に加わって第一次世界大戦に参戦、フランス、イタリア両戦線に従軍、この体験をもとにして、二つの急進的な軍隊小説『ある男の入門』(1920)および『3人の兵士』(1921)を出版した。戦後はパリで「失われた世代」の作家たちと交わり、また各地を旅行して優れた紀行『ロシナンテ再び旅立つ』(1922)、『オリエント急行』(1927)、『あらゆる国々にて』(1934)を書いたが、その間社会を総体として描く方法を模索し、『夜の街々』(1923)を経て、多数視点と同時性の手法を極限まで押し進めたニューヨークのパノラマ『マンハッタン乗換駅』(1925)を発表した。
彼は早くから社会主義に共感を寄せていたが、1927年サッコとバンゼッティの処刑を契機に急速に共産党に接近、32年の大統領選挙に際しては、共産党選出の候補を支持したほか、プロレタリア演劇運動にも関係して劇作を試みた。同時に『U・S・A(ユーエスエー)』の執筆にとりかかり、30年『北緯四十二度線』、32年『1919年』、36年『ビッグ・マネー』を出版、38年にまとめて一巻本三部作として刊行した。この大作によって大不況時代の代表作家と目されたが、やがて共産党の政策転換に失望、しだいに左翼陣営から遠ざかり、『U・S・A』出版のころには左翼運動から退いた。共産党の党利党略の犠牲となってスペイン市民戦争で死ぬ一青年を主人公にした『ある青年の冒険』(1939)をはじめ、『ナンバー・ワン』(1943)、『大いなる企画』(1949)からなる第二の三部作『コロンビア区』(1952)で、あらゆる政治理念への絶望を表明した。かつては共産党選出の大統領候補を熱烈に支持した彼が、60年の大統領選挙では共和党選出候補支持の行動をとったことで、広範な読者を失望させ、驚かせた。後期の主要作品として『U・S・A』の手法を使った『世紀の半(なか)ば』(1961)、自伝『最良の時代』(1966)など。また『トマス・ジェファーソンの理知と心情』(1954)、『国を築いた人々』(1957)、『ウィルソン氏の戦争』(1962)そのほか政治、歴史関係の著作が多い。70年9月28日没。
[平野信行]
『杉木喬訳『現代アメリカ文学全集17 ある青年の冒険』(1958・荒地出版社)』▽『尾上政次訳『北緯四十二度線』(『世界文学大系87』所収・1963・筑摩書房)』▽『西田実訳『新集世界の文学36 マンハッタン乗換駅』(1969・中央公論社)』▽『大橋健三郎編『20世紀英米文学案内21 ドス・パソス』(1967・研究社出版)』
アメリカの小説家。両親が内縁関係であったため,著名な弁護士である父に愛されながらも16歳まで認知されなかったこと,少年時代世界各地を旅行したことが,彼の文学に影響を与えた。ハーバード大学で審美主義の洗礼をうける。野戦衛生部隊員として第1次大戦に参戦した体験から,軍隊を批判した《ある男の入門--1917年》(1920),《三人の兵士》(1921)を出版。大戦後は〈失われた世代(ロスト・ジェネレーション)〉の作家たちと交わり,パリ,スペインなどを転々とし,《ロシナンテ再び旅に》(1922),《オリエント急行》(1927)などの旅行記を書く。1922年帰国。印象主義の手法を用い多数の視点から滅びの都市ニューヨークを描く傑作《マンハッタン乗換駅》(1925)で認められる。1920年代半ばからサッコ=バンゼッティ事件に関心をよせてデモに参加。投獄されたり,左翼雑誌《ニュー・マッシズ》の創刊に尽力し,共産党に接近した。プロレタリア演劇運動にも関係し,《航空会社》(1929)などを発表。〈歴史の建築家〉という自負をこめて発表した《北緯42度線》《1919年》《財閥》の3部からなる《U.S.A.》(1938)により,不況時代の代表的作家と認められたが,組織のためには個人を犠牲とする共産党に失望し,1930年代半ばには左翼陣営を去る。共産党に裏切られる青年の物語《ある青年の冒険》(1939),ヒューイ・ロングを思わせる政治家の登場する《ナンバー・ワン》(1943),ニューディール政策の行詰りを描く《大いなる企画》(1949)からなる三部作《コロンビア特別区》(1952),《U.S.A.》の手法を用いた《世紀の半ば》(1961)などもあるが,《U.S.A.》には及ばない。ほかに,自伝《最良の時代》(1966),評論集《機会と抗議》(1964),歴史研究《ウィルソン氏の戦い》(1962),遺稿となった小説《世紀の引潮》(1975)などがある。共産党からの転向,アメリカの伝統への復帰に思想的成熟を見るかどうかにより,ドス・パソスの評価は大きく分かれている。
執筆者:島田 太郎
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…フォークナーも特異な文体家であるが,代表作《響きと怒り》(1929)などにより,南部社会の深層を〈意識の流れ〉の手法の開拓やトウェーン伝来の語り口を通じてみごとに剔出して見せた。ドス・パソスは《U.S.A.》(1930‐36)その他でアメリカの政治・社会の状況にメスを入れた。 29年の大恐慌を境に,頽廃的ムードの中にも繁栄していた1920年代の社会は冷たく暗い幻滅感と危機感をたたえた社会へと変わり,社会的関心を第一とする作品が目につくようになる。…
…日独伊三国軍事同盟締結と大政翼賛会,大日本産業報国会の結成は,40年のことであったが,このときにはすでに反ファシズムの組織と言論は皆無に近かった。【鈴木 正節】
【国際的な反ファシズム文化運動】
国際的な反ファシズム文化運動の先駆としては,反戦を掲げてロマン・ロランとバルビュスが呼びかけ,ゴーリキー,アインシュタイン,ドライサー,ドス・パソスらが発起人に名を連ねる,1932年8月アムステルダムの国際反戦大会に29ヵ国2200名を集め,翌年パリで第2回大会を開催した〈アムステルダム・プレイエル運動〉,フランスの急進社会党代議士ベルジュリが主唱し,J.R.ブロック,ビルドラックらの協力した33年5月結成の〈反ファシズム共同戦線〉,ジッド,マルローらによる〈革命作家芸術家協会〉の33年における反ファシズム運動などがあげられる。しかし,それが政治的立場を超えた知識人の統一運動として定着するのは,34年の2月6日事件をまたなければならない。…
…アメリカの小説家ドス・パソスの小説。《北緯42度線》(1930),《1919年》(1932),《ビッグ・マネー》(1936)の三部作が,1938年《U.S.A.》として一巻にまとめられた。…
※「ドスパソス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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