「後拾遺集‐序」には、「むかしなしつほのいつつの人といひてうたにたくみなるものあり」とある。
《後撰和歌集》撰者5人の呼称。951年(天暦5)10月,村上天皇の勅命によって,《万葉集》の訓釈と第2番目の勅撰集《後撰集》の撰という二つの事業が課せられ,内裏の後宮にある昭陽舎(梨壺)に初めて撰和歌所が置かれた。別当(長官)には左近少将藤原伊尹(これただ)が任ぜられ,讃岐大掾大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ),河内掾清原元輔,学生源順(みなもとのしたごう),近江少掾紀時文,御書所預坂上望城(さかのうえのもちき)の5人が事にあたった。能宣,元輔は当代歌人の代表者,順は和漢にわたる随一の学識者,時文は能筆の者,望城は御書所の図書責任者であったから,それぞれの能力や立場に応じて撰集と訓釈という両面の仕事が分担されたと想像される。ただし平安末期の藤原清輔の《袋草紙》は,平兼盛が撰者に入れられていないなど人選の妥当でないことに疑義を表明し,鎌倉時代の順徳天皇の《八雲御抄》では,この5人は《古今集》撰者の紀貫之以下4人に比べて見劣りすること,時文と望城は貫之,是則という有名歌人の二世にすぎないことを批判している。
執筆者:藤岡 忠美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
951年(天暦5)村上(むらかみ)天皇の命により、宮中の梨壺(昭陽舎)に撰(せん)和歌所が設けられて、別当に藤原伊尹(これまさ)、寄人(よりゅうど)に大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、源順(したごう)、紀時文(きのときぶみ)、坂上望城(さかのうえのもちき)が任ぜられ、『万葉集』の読解と第二の勅撰和歌集『後撰(ごせん)和歌集』の撰集とを行った。この寄人5人を「梨壺の五人」という。寄人選定は両事業の兼ね合いによるもので、歌人たることが必要条件ではなかったようである。歌人としての実績が乏しい時文は父貫之(つらゆき)の資料提供と能書、望城は御書所預(あずかり)と学識が考慮されての選と考えられている。『万葉集』読解はおもに順があたった。
[杉谷寿郎]
…皇太子や内親王の居所として用いた。951年(天暦5)撰和歌所を置き,清原元輔,大中臣能宣,源順,紀時文,坂上望城らに命じて《後撰和歌集》の編纂と《万葉集》の訓釈に当たらせたことは有名で,この5人を〈梨壺の五人〉と称する。この951年の史料は梨壺の存在を確認できる早い例である。…
※「梨壺の五人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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