梨壺の五人(読み)なしつぼのごにん

精選版 日本国語大辞典 「梨壺の五人」の意味・読み・例文・類語

なしつぼ【梨壺】 の 五人(ごにん)

① (天暦五年(九五一村上天皇の勅により、宮中梨壺和歌所を設け、後撰集編纂万葉集の付訓に五人寄人(よりうど)が当たったところから) 坂上望城(さかのうえのもちき)・紀時文(きのときぶみ)大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)清原元輔(きよはらのもとすけ)・源順(みなもとのしたごう)のこと。梨壺の五歌仙。〔袋草紙(1157‐59頃)〕
近世、一条天皇の頃の代表的女性歌人和泉式部・赤染衛門・伊勢大輔・馬内侍・紫式部清少納言を入れることもある)を指していった呼び名。梨壺とは関係がなく、①をまねた呼称
[補注]「後拾遺集‐序」には、「むかしなしつほのいつつの人といひてうたにたくみなるものあり」とある。

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デジタル大辞泉 「梨壺の五人」の意味・読み・例文・類語

なしつぼ‐の‐ごにん【梨壺の五人】

天暦5年(951)村上天皇の命により、梨壺の和歌所で後撰集を撰集し、また万葉集訓点を施した五人の寄人よりうど大中臣能宣おおなかとみのよしのぶ源順みなもとのしたごう清原元輔紀時文坂上望城さかのうえのもちき。五歌仙。

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改訂新版 世界大百科事典 「梨壺の五人」の意味・わかりやすい解説

梨壺の五人 (なしつぼのごにん)

後撰和歌集》撰者5人の呼称。951年(天暦5)10月,村上天皇の勅命によって,《万葉集》の訓釈と第2番目の勅撰集《後撰集》の撰という二つの事業が課せられ,内裏の後宮にある昭陽舎(梨壺)に初めて撰和歌所が置かれた。別当(長官)には左近少将藤原伊尹(これただ)が任ぜられ,讃岐大掾大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ),河内掾清原元輔,学生源順(みなもとのしたごう),近江少掾紀時文,御書所預坂上望城(さかのうえのもちき)の5人が事にあたった。能宣,元輔は当代歌人の代表者,順は和漢にわたる随一学識者,時文は能筆の者,望城は御書所の図書責任者であったから,それぞれの能力や立場に応じて撰集と訓釈という両面の仕事が分担されたと想像される。ただし平安末期の藤原清輔の《袋草紙》は,平兼盛が撰者に入れられていないなど人選の妥当でないことに疑義を表明し,鎌倉時代の順徳天皇の《八雲御抄》では,この5人は《古今集》撰者の紀貫之以下4人に比べて見劣りすること,時文と望城は貫之,是則という有名歌人の二世にすぎないことを批判している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梨壺の五人」の意味・わかりやすい解説

梨壺の五人
なしつぼのごにん

951年(天暦5)村上(むらかみ)天皇の命により、宮中の梨壺(昭陽舎)に撰(せん)和歌所が設けられて、別当に藤原伊尹(これまさ)、寄人(よりゅうど)に大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、源順(したごう)、紀時文(きのときぶみ)、坂上望城(さかのうえのもちき)が任ぜられ、『万葉集』の読解と第二の勅撰和歌集『後撰(ごせん)和歌集』の撰集とを行った。この寄人5人を「梨壺の五人」という。寄人選定は両事業の兼ね合いによるもので、歌人たることが必要条件ではなかったようである。歌人としての実績が乏しい時文は父貫之(つらゆき)の資料提供と能書、望城は御書所預(あずかり)と学識が考慮されての選と考えられている。『万葉集』読解はおもに順があたった。

[杉谷寿郎]

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世界大百科事典(旧版)内の梨壺の五人の言及

【昭陽舎】より

…皇太子や内親王の居所として用いた。951年(天暦5)撰和歌所を置き,清原元輔,大中臣能宣,源順,紀時文,坂上望城らに命じて《後撰和歌集》の編纂と《万葉集》の訓釈に当たらせたことは有名で,この5人を〈梨壺の五人〉と称する。この951年の史料は梨壺の存在を確認できる早い例である。…

※「梨壺の五人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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