ヌシッチ(その他表記)Branislav Nušić

改訂新版 世界大百科事典 「ヌシッチ」の意味・わかりやすい解説

ヌシッチ
Branislav Nušić
生没年:1864-1938

ユーゴスラビア劇作家セルビアの生れで,ベオグラード大学で法律を学ぶ。外務省に勤めたこともあるが,国立劇場副支配人となり(1900),みずからも多く作品発表。特に新生国家に見られた役人根性俗物を笑殺した《怪しい奴》(1888),《大臣夫人》(1931)などの喜劇で大成功を収める。滑稽な《自叙伝》(1924)や児童文学もものした。いわば〈セルビアのゴーゴリ〉として今も絶大な人気を博している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヌシッチ」の意味・わかりやすい解説

ヌシッチ
ぬしっち
Branislav Nusić
(1864―1938)

ユーゴスラビア王国、セルビアの劇作家、小説家。ベオグラード大学で法学を修め、外交官、行政官となる。のちジャーナリズムの世界に転じ、またベオグラードその他の都市の国立劇場支配人の職を務める。23歳のときに書いた風刺詩『二人の奴隷』が筆禍事件を起こし、下獄したこともある。ゴーゴリの影響を受け、風刺のきいた喜劇を得意とした。主要な喜劇に『疑いぶかい性格』(1887)、『世界』(1906)、『大臣夫人』(1929)、『ミスター・ドル』(1932)、『喪中の家族』(1935)、『故人』(1937)などがあり、当時の社会の政治的、道徳的腐敗を痛烈に批判した。ユーモア小説『自叙伝』(1924)も秀作である。

[栗原成郎]

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百科事典マイペディア 「ヌシッチ」の意味・わかりやすい解説

ヌシッチ

ユーゴスラビアの劇作家。セルビアの生れ。外務官僚から劇作家に転じ,新興国の官僚や俗物根性を風刺する喜劇で人気を得,1900年国立劇場副支配人となって,演劇の振興に尽力,〈セルビアのゴーゴリ〉と称される。劇作《怪しい奴》(1888年),《大臣夫人》(1931年)のほか,滑稽みあふれる《自叙伝》(1924年)や児童文学などのユーモア作品でも知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヌシッチ」の意味・わかりやすい解説

ヌシッチ
Nušić, Branislav

[生]1864.10.8. ベオグラード
[没]1938.1.19. ベオグラード
セルビアの小説家,劇作家。喜劇『国民の選良』 Narodni poslanik (1883) ,小説『市の子供』 Opštinsko dete (1902) などが代表作。

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世界大百科事典(旧版)内のヌシッチの言及

【ユーゴスラビア】より

…またナゾルとコバチッチIvan Goran Kovačić(1913-43)はパルチザン戦争に身を投じて自己改革を行ったユニークな詩人である。戦前のベオグラードでは,詩人ツルニャンスキダビチョらが表現主義から超現実主義風の作品を発表する一方,ヌシッチは風刺で現実を笑殺した。
[第2次大戦後の文学]
第2次大戦後の社会主義期には,マケドニア語が詩人コネスキらの努力で文語として確立し,K.ミラディノフやラツィンKočo Racin(1908-43)の伝統を継いで,ヤネフスキSlavko Janevski(1920- ),ウロシェビッチVlada Urošević(1934- )らが輩出し,詩壇に新風を吹き込んだ。…

※「ヌシッチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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