改訂新版 世界大百科事典 「ハゼノキ」の意味・わかりやすい解説
ハゼノキ
wax tree
Rhus succedanea L.
暖地の山野に野生し,秋に美しく紅葉するウルシ科の落葉高木。高さ10m,直径60cm以上となる。小枝の先端に集まる葉は互生し,奇数羽状複葉で長さ15~25cm。革質の無毛の小葉は7~15個,披針形または卵状披針形で,長さ5~10cm。初夏,葉腋(ようえき)に長さ5~11cmの円錐花序を出し,多数の黄緑色の小花をつける。花は雑性で径2mmぐらい。萼片と花弁は5個,おしべは5本。核果(実)は扁球形で斜めひし形状円形,淡黄色,径6~8mm。日本(関東以西~琉球),中国,ヒマラヤに分布する。昔は果実から木蠟(もくろう)を採るため広く栽培され,いくつかの品種があった。木蠟は和ろうそく,ポマード,光沢材料としての織物のつや出しなどに利用する。また材は模型材料や用材となり,盆栽にもする。根は止血,血尿の治療に用いられる。本種に似て若枝,葉裏に毛のあるものがヤマハゼR.sylvestris Sieb.et Zucc.で,日本(東海以西~九州),台湾,中国に分布する。
執筆者:初島 住彦
日本における栽培と利用
黄櫨(きはぜ)(ハゼノキ)から製する蠟が中国から日本へ到来したのは室町時代で,同時にその製法も伝えられた。また黄櫨は琉球へ到来し,これが薩摩に伝わり,さらに北九州から本土に広がった。最初の到来地が琉球であるので〈りゅうきゅうはぜ〉ともいわれていた。日本には自生した山櫨(やまはぜ)があり,伊予宇和島で18世紀中ごろまではこれから製蠟したので,山櫨と区別して黄櫨を〈唐櫨(とうはぜ)〉といっている。筑後も山櫨が自生した。黄櫨が早期に盛んになった地域は北九州で,熊本藩は1671年(寛文11)からである。福岡藩もそのころで,四国では宇和島藩が1745年(延享2)からで,これからのちは急速に本土で生産されるようになった。遠距離の中央市場(大坂)へは,完製品ではなく櫨実を搾蠟した生蠟の形で販売されるが,1736年(元文1)大坂入荷の生蠟は銀で2374貫余で,農産入荷物品中第5位を占め,販売地域は九州5ヵ国,山陰3ヵ国,北陸3ヵ国に及び,九州では広域に栽培されている。
執筆者:岡 光夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報