日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハタミ」の意味・わかりやすい解説
ハタミ
はたみ
Mohammad Khatami
(1943― )
イランの政治家。1943年にイラン中部の都市ヤズド近郊アルダカンで生まれる。イスラム教シーア派の聖地コムなどの神学校で学んだのち、イスファハーン大学(哲学)、テヘラン大学(教育学)を卒業。シーア派内の位階はアヤトッラーに次ぐホジャトレスラム。父は高位のアヤトッラーであったため、早くからホメイニのパーレビ王制打倒運動に参加。1978年に同運動の拠点だった旧西ドイツのハンブルクにあったイスラム・センター所長となり、1979年のイスラム革命時に帰国、翌1980年に国会議員となった。その後1982年から10年間は文化イスラム指導相、1992年に大統領顧問と国立図書館長、1996年に最高文化革命評議会メンバーに任命された。イスラム指導相時代には、初めて女性歌手の公演を認めるなど芸術文化活動に寛容な政策をとったため、保守派の攻撃によって辞任した。アラビア語のほか、英語、ドイツ語にも堪能(たんのう)で、宗教界のなかでは国際派とみられている。1997年5月の大統領選挙(立候補者238人から護憲評議会の資格審査で正式候補4人を承認)で、本命と目されたナテクヌーリ国会議長に予想外の大差をつけて当選、8月に革命後5代目の大統領に就任した。1998年1月、アメリカのテレビで「アメリカ国民との対話」を提唱したのをはじめ、対外融和路線を明らかにしている。2001年6月再選、8月就任(~2005年8月)。
[奥野保男]
『ハタミ著、平野次郎訳『文明の対話』(2001・共同通信)』