ソ連の作曲家。ジョージア(グルジア)の首都チフリス(現、トビリシ)生まれのアルメニア人。製本工の家に生まれ、1921年モスクワに行き、翌1922年モスクワ大学植物科、さらにグネーシン音楽アカデミーに入学、まずチェロを学び、1925年から同アカデミーの作曲クラスに入る。1929年からモスクワ音楽院でミャスコフスキーに作曲を学び、卒業資格を得たのちも1937年まで修士課程に学ぶという晩学の徒であった。その間、アルメニアの民族色の濃いピアノ協奏曲を作曲(1936)、続くバイオリン協奏曲(1940)で名声を確立した。第二次世界大戦中にアルメニアに題材をとったバレエ『ガイーヌ(ガヤネー)』(1942)は大成功を博した。1937年からソビエト作曲家連盟の中心的存在として活躍していたが、1948年にスターリン政策下のジダーノフ批判では、彼の作風が外面的・形式的であるとしてショスタコビチ、プロコフィエフとともに非難を浴びた。その後は自作の改良に努めるとともに、論文「創造の大胆さとインスピレーションについて」(1953)によってスターリン時代の音楽の欠点を指摘した。作風には、故郷アルメニアの民族色とソ連の古典的伝統の融合、音楽語法の活力、管弦楽法の色彩感があげられる。作品は、三つの交響曲(1935、1943、1947)、バレエ『スパルタクス』(1952~1954)ほか多数。
[船山信子]
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
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