ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハドソン」の意味・わかりやすい解説
ハドソン
Hudson, Rock
[没]1985.10.2. カリフォルニア,ビバリーヒルズ
アメリカ合衆国の俳優。本名 Roy Harold Scherer, Jr.,のちに Roy Fitzgerald。二枚目俳優として知られ,1950~60年代は映画,1970年代以降はおもにテレビで活躍した。第2次世界大戦中は海軍で兵役につき,1946年に俳優を志してハリウッドに移る。1947年タレントスカウトの目に留まり,ジブラルタルの岩 Rock of Gibraltarとハドソン川 Hudson Riverにちなんでロック・ハドソンの芸名をもらう。ワーナー・ブラザーズと契約し,『特攻戦闘機中隊』Fighter Squadron(1948)で映画デビュー。1年後,ユニバーサルに移籍。『心のともしび』Magnificent Obsession(1954)で主役を演じ,スターの地位を確立した。『ジャイアンツ』Giant(1956)では昔かたぎの牧場主を好演し,アカデミー賞主演男優賞にノミネート。1950年代の終わりには,ハリウッドの稼ぎ頭の一人に数えられた。ドリス・デーと共演した『花は贈らないで!』Send Me No Flowers(1964)などの作品ではコメディの才能も披露している。エイズによる合併症のため 59歳で死去する直前に,同性愛者であることを公表。エイズの恐ろしさに対する認識を高めることに大きく貢献した。
ハドソン
Hudson, Henry
[没]1611
イギリスの航海者,探検家。北極海経由の中国航路を求めて4回の航海を行う。第1回目は 1607年ロシア会社のためになされ,ヤンマイエン島を見出す。 08年同会社の要請でスピッツベルゲンとノバヤゼムリヤ間の中国航路を探索。 09年オランダ東インド会社の依頼で第3回目の航海に出発,彼の名にちなんだハドソン湾を経て,ニューアムステルダムにいたり,さらにハドソン川をさかのぼりオールバニ近くに達した。 10年第4回目の航海のためロンドンを出発。6月中頃ハドソン海峡を通り,8月ハドソン湾に達した。食糧不足から隊員間に不和を生じ,息子および仲間7名とともにボートに強制移乗させられ,漂流,消息不明となった。
ハドソン
Hudson, Manley Ottmer
[没]1960.4.13. ケンブリッジ
アメリカの法学者。ミズーリ,ハーバード両大学教授。アメリカの国際連盟加盟を強く主張したが果せず,1919年みずから国際連盟事務局に入り,各種の国際会議に法律顧問として参加。国際裁判の研究に精力を注ぎ,33年常設仲裁裁判所裁判官,36年から 10年間,常設国際司法裁判所判事をつとめた。主著『国際組織の発展』 Progress in International Organization (1932) ,『常設国際司法裁判所』 The Permanent Court of International Justice (34) ,『国際裁判所──過去と未来』 International Tribunals,Past and Future (44) 。
ハドソン
Hudson, William Henry
[没]1922.8.18. ロンドン
イギリスの作家,博物学者。放浪生活ののち 1874年イギリスに定住,南アメリカを舞台としたロマンスを書いた。代表作『ラ・プラタの博物学者』 The naturalist in La Plata (1892) ,『緑の館』 Green Mansions (1904) ,自伝『遠い国,はるかな昔』 Far Away and Long Ago (18) のほか,イギリスの田園を描いた『イギリス徒歩旅行』 Afoot in England (09) や鳥類の研究がある。
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