自然的世界の原理的反省を課題とする哲学の一分野。〈自然哲学philosophia naturalis〉という言葉はセネカに始まるが,起源はソクラテス以前の自然学者たちによる自然(フュシス)の原理探究にさかのぼる。アリストテレスは運動する存在者に関する自然学を第二哲学と呼び,運動の起因者としての神の探究はこれを第一哲学(形而上学)にゆだねた。ストア学派以来,自然学は論理学,倫理学とともに哲学の主流であり,中世ではキリスト教の教義とともに創造神による被造物の全体が自然と解される。近世に至るまで神学,宇宙論cosmologia,霊魂論が神,自然,人間を主題とする特殊形而上学を形づくる。一般にこの自然学と宇宙論とが近世以前の自然哲学の形態であった。近世では経験的自然科学が分化し,数学の適用による自然現象の量的・実験的解明により,自然法則の発見されうる諸現象,法則の発見により人間が利用し征服しうる諸対象が自然と解される。自然は主観の対象として,経験科学の領域,方法,目的,関心に応じた諸対象に分節され,これとともに自然的世界の認識は科学の成果として,人間の歴史的世界の内部に編入される。カントはニュートン物理学の成立の事実に基づき,自然のア・プリオリな原理の体系を〈自然の形而上学〉とし,これを〈道徳の形而上学〉に対置した。シェリングもヘーゲルも自然科学の成果を利用して自然哲学を構想したが,絶対的理念の把握の前段階としてであった。19世紀以来,人間の自然本性における理性以外の非合理的なもの,とくに欲求,意欲,意志への自覚に伴い,自然はもはや単に知性による解明の対象としてだけではなく,主体の意欲,意志の実現のための環境,資源,素材と解されて今日に至る。現代の自然哲学は,一方では自然科学の哲学であり,自然諸科学の提示する自然的諸世界像の統合の可能性,自然科学的認識の諸前提と意味とをめぐる考察として,科学哲学の一項をなす。他方,人間の歴史,文化,社会の基盤,母体,原所与としての自然的世界は,人間の無際限な好奇心,欲求,意欲,意志と知性とに対して,どこまでも従順であるか否か,自然の自然本性と自然の一部分である人間の自然本性との間の真の調和とは何であるべきか,このような根本問題に答える必要が生じている。自然哲学の歴史は,原所与としての自然への人間の態度の表明の歴史なのである。
執筆者:茅野 良男
われわれの心身も含めて,自然を構成する原理を探求する試みは,インドでは古くはウパニシャッドの哲人ウッダーラカ・アールニによって行われた。彼によれば,太初,唯一無二の有から熱(火)と水と食物(地)が生まれ,その三要素の混交によってこの雑多な世界が展開されたという。この三要素混交説を直接に継承したのがサーンキヤ学派の三要素(純質,激質,暗質)説である。インドでは,これ以外にも,さまざまな要素説が考案されたが,それらは,微細希薄な要素が粗大な物体になるという説と,不可分の最小単位である原子の結合を主張する説とに大別できる。前者はサーンキヤ学派,ヨーガ学派,ベーダーンタ学派,後者はニヤーヤ学派,バイシェーシカ学派,ジャイナ教,仏教(とくに説一切有部,経量部)が主張した。
執筆者:宮元 啓一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
自然界についての理論的・哲学的学説を一般的にさすが、主として近代自然科学成立以前のものについていわれる。自然学physica(ギリシア語)ともいう。
[横山輝雄]
人類誕生以来、自然界について経験的にいろいろなことが知られてきたが、古代文明の成立とともに、それらは知的な一貫した説明体系のなかに組み込まれた。当初それらは宇宙創成物語等の神話的・文学的形態をとっていたが、それを批判的・論理的に検討し、自然界の説明から擬人的・物語的要素を排除して理論的・体系的な説明が与えられるようになって、自然哲学が成立する。
古代ギリシアにおいて、タレスに始まる自然哲学者たちは、宇宙の構成元素についてさまざまな学説を提出し、それらは、土、水、空気、火の四大元素説へとまとめられた。自然は全体として有機的・生命的なものとして把握され、目的論的な見方によって統一的に理解された。アリストテレスによって完成されたこうした自然哲学においては、天動説が採用され、地球は宇宙の中心にあるとされた。あらゆる自然物は、その本性を実現する過程にあるとされ、生物にとっては親になること、煙にとっては上方へ移動すること、水にとっては下方へ移動することがその本性の実現であるとされた。このような自然哲学は、アリストテレスの学説がイスラム世界や中世ヨーロッパ世界に伝えられ、そこで広く受容されたため、それらの地域でも近代科学以前の支配的自然哲学となった。古代ギリシアには、原子論を説く機械論的な自然哲学も存在したが、それは無神論であり、宗教を否定するものであるとみなされ、一般には広がらなかった。
古代インドや中国も、それぞれ独自の自然哲学を発達させた。インドでもギリシアと同様に、宇宙の構成元素についてのいろいろな学説が提出され、また原子論的な学説も現れた。中国では原子論的な学説はほとんどみられず、有機的自然観が主流であった。陰陽五行説によって自然界の生成を説明し、理と気によって万物の構成を理解しようとした。こうした中国の自然哲学は日本にも伝わり、江戸時代の三浦梅園は独自の自然哲学の体系をつくりあげた。
[横山輝雄]
17世紀以降ヨーロッパで近代科学が展開されると、それ以前の伝統的自然哲学は、実験的・実証的根拠をもたない思弁であるとして否定されるようになり、自然哲学ということばもあまり使われなくなった。近代科学は、原子論的・機械論的な自然観をとっており、そのため19世紀前半のドイツを中心に、シェリングらによってそれに反対して有機的自然観が主張された。その学説がとくに自然哲学とよばれることもある。
[横山輝雄]
『コリングウッド著、平林康之・大沼忠弘訳『自然の観念』(1974・みすず書房)』▽『伊東俊太郎著『文明における科学』(1976・勁草書房)』▽『藪内清著『中国の科学文明』(岩波新書)』▽『辻哲夫著『日本の科学思想』(中公新書)』
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