ハンティンドン(読み)ハンティンドン[はくけ](その他表記)Huntingdon, Earls of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンティンドン」の意味・わかりやすい解説

ハンティンドン(伯家)
ハンティンドン[はくけ]
Huntingdon, Earls of

イギリス貴族家柄。現存する最古の四大伯家の一つ。すでにアングロ・サクソン時代の貴族ワルセオーフ(1076没)がこの称号を得ていた。ワルセオーフは征服王ウィリアム1世陰謀をたくらんだかどで処刑されたが,その娘がのちのスコットランド王デービッド1世と再婚したことから,伯爵位はスコットランド王室関係者に継承されることになり,そのなかにはのち王になったマルカム4世,ウィリアム・ザ・リヨン(1143~1214)らもいたが,この系統は 1237年絶えた。14世紀になり,2人の者に授けられたがいずれも後嗣なく没したのち,1387年ジョン・ホランド(1352?~1400)に与えられた。ホランドはリチャード2世異母兄で,1397年にはエクセター公(→エクセター〈公・侯・伯家〉)になったが,ヘンリー4世に陰謀を働いたかどで処刑された。その次子ジョン(1395~1447)は百年戦争に従軍し,1415年アザンクールの戦いに活躍した功により翌年伯爵位を回復。ジョンはその後も大陸で転戦し,公爵位も回復した。しかし 3代ヘンリーが,1461年ランカスター派貴族として処刑されたため,ホランド家の系統も絶えた。その 10年後の 1471年,トマス・グレー(1451~1501)が,エドワード4世のためにテュークスベリー戦いで善戦した功により伯爵位を授けられたが,1475年ドーセット侯(→ドーセット〈伯・侯・公家〉)に叙せられるにあたり,伯爵位を辞退。そこで,1479年ハーバート家のペンブルック伯ウィリアム(1460~91)が,ペンブルック伯爵位を捨ててハンティンドン伯爵位を取得したが,後嗣なく終わった。次いで 1529年ヘンリー8世の寵臣ジョージ・ヘースティングズ(1488?~1545)に授けられ,その系統が今日まで続いている。

ハンティンドン
Huntingdon, Selina Hastings, countess of

[生]1707.8.24.
[没]1791.6.17.
イギリスの「ハンティンドン伯爵夫人団体」の創立者。貴族の家に生れ,セオフィラス・ハンティンドン伯爵と結婚 (1728) 。 J.ウェスリーのメソジスト運動に加わり,特に貴族階級へのメソジスト運動普及をはかり,18世紀の福音主義復興の中心人物となった。晩年彼女が創設した多数教会を,「ハンティンドン伯爵夫人団体」に組織した (90) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハンティンドン」の意味・わかりやすい解説

ハンティンドン
Huntingdon

イギリス,イングランド中東部,ケンブリッジシャー西部(旧,ハンティンドン・ピーターバラ州)にある農業都市で,1974年までは旧州の州都であった。地名は〈狩猟者の丘〉の意。人口14万9000(1993)。グレート・ウーズ川中流北岸に位置し,周辺農村地帯の中心としてビール醸造や農産物取引が盛んである。ローマ支配時代につくられたアーミン街道の渡し場にあたり,921年にエドワード1世が要塞を建設したがデーン人に破壊された。ピューリタン革命の指導者O.クロムウェルの生地で,ゆかりのグラマー・スクールがあり,また市内にはジョージアン様式の民家が多い。対岸のゴッドマンチェスターGodmanchesterとは双子都市をなす。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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